蒸し暑い夏の夕方だった
札幌の街は日中の熱気を地面に残したまま、
風だけが少し生ぬるく吹いていた
仕事終わりの体には、どこか肌のべたつきが残っていた
札幌の夏は短い
思い切り楽しもうと思った
彼女との出会いは、やはりサイトだった
普段であれば、出会うはずのない2人
リスクもあるが、リターンも大きい
私はサイトに入り浸りだった
アプローチしてきたのは、彼女
言葉を選んで仕上げたプロフィールが功を奏し、星の数ほどいる男性の中から私を選んでくれたのだ
満足させてあげなくては、私は強く思った
彼女は20代の会社員
私より年下だ
写真を事前に交換
ショートカットで凛とした顔立ち
こんな娘が何故サイトに?
と疑問に感じるほどの美貌だった
持論であるが、美意識の高い女性は、性による快楽への欲求が人一倍強いもの
ただし、そのプライドの高さゆえ、中々自分の本心をさらけ出すことができない
また、感受性が豊かで知的なため、周囲からの信頼や期待に応えようとするあまり、自分を抑制してしまう
彼女の隙のない風貌から、そんな人物像がイメージできた
メールのやり取りが始まった
なかなかどうして、変態である
うちに秘めた強い性欲、好奇心、探究心
とにかく変わったことを試してみたい、ということがサイトに登録した理由だったようだ
そこで、私は一つ提案してみた
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彼女が現れたのは、すすきの近くのコンビニ
ラブホテルの前で待ち合わせしてもよかったのだが、2人でゆっくり歩こうと思ったからだ
パンツスーツに身を包んだ彼女
白い肌と細い首が、街灯の下で静かに浮かび上がっていた
互いに携帯を確認する
《見つけた》
〈もう話しちゃいけないってこと?〉
《そうだよ、声は禁止でメールだけ》
それが私の提案だった
選んだホテルは、古代エジプトをテーマにしたラブホテル
ロビーの奥にはファラオの胸像が鎮座し、廊下の壁にはヒエログリフが刻まれている
まるでこの街の熱と喧騒から切り離された別世界だった
変わったことを試したい、という彼女にピッタリだ
非日常は、自分を解放してくれるから
コンセプトは部屋の中も徹底していた
金色の柱、砂岩を模した壁
間接照明がオレンジ色に揺れ、ベッドの上にはスカラベの刺繍
この非日常の中で、ますます言葉は必要なくなっていった
《まず、シャワーを浴びよう》
〈うん、一緒に入ろう〉
バスタブにお湯が溜まる間も、2人の間には会話はない
少し離れて座る2人
手を伸ばせば簡単に届く距離
《そろそろ、かな?》
バスルームに入ると、蒸気がすぐに視界を曇らせた
湯気越しの肌の輪郭が、湿度とともに柔らかく滲んでいく
広めのバスタブに二人で腰を沈めると、まるで重力まで緩んだかのように、体が水に溶けていく
言葉はない
けれど、それでいい
彼女の指先がそっとこちらの肩に触れる
爪の短い指が、水の膜を裂くように、ゆっくりと胸元をなぞる
視線を交わすことさえ、照れくさいほどだった
声を出せないことで、むしろ触れるすべてが鮮明だった
指、呼吸、そして肌の熱
音のない愛撫は、体温と水音だけを伴って、沈黙の中で広がっていった
互いの手が背中を辿り、腰を、脚を、水の下で探り合う
まるで、沈黙の儀式
やがて、彼女が湯から上がる
曇った鏡に浮かぶその横顔は、先ほどまでの会社員の面影とはまるで違っていた
バスルームを出ると、空調の冷気が濡れた肌を撫でていく
タオルで髪を拭きながら、ふと視線を上げると、彼女はもうそこにいた
着替えは済んでいた
白と紺のセーラー服
そう、事前にコスプレを注文していたのだ
薄い布地が濡れた肌に少し張りついていて、袖口からのぞく二の腕の細さがやけに目に残った
大人の身体に、あまりにも儚い衣装
そのアンバランスさが、逆に目を離せなくさせる
ベッドの縁に腰掛けていた彼女は立ち上がり、ゆっくりとベッドに膝をつく
その動きに合わせて、セーラー服の裾が揺れる
何かを言いたげな目をしていたが、やはり言葉はなく、ただこちらをじっと見つめていた
黙って近づく
手を伸ばし、彼女の頬に触れると、少しだけ目を細める
拒まない
それどころか、頬がわずかに熱を帯びていく
襟元に手をかけ、ゆっくりと肌に触れる
セーラーの布地をかき分けていく指先の動きに、彼女は背筋をわずかに伸ばした
触れられる場所が増えるたびに、肌の温度が変わっていくのがわかる
手はいつしか、頬から首筋へ、そして鎖骨へと辿っていた
彼女の指もまた、そっとこちらの胸元に触れる
互いに言葉を交わさず、ただ確かめ合うように、体だけが語り合っていた
まるで、古代の神殿に迷い込んだ巡礼者のように、
この夜は、音を捨て、言葉を捨て、ただ、触れ合うことでしか前に進めない
彼女の手が、セーラーの裾を自ら捲りあげたとき、そこには一切の挑発も照れもなかった
ただ、この静かな夜に、許された者同士だけが踏み込める境界が、
やっと開かれたのだという実感だけが、確かにあった
指先がゆっくりと、彼女の脚をなぞる
太腿の内側、ひざ裏、足首
彼女は目を伏せ、身じろぎすらせずに、ただその感触を受け止めていた
やがて、その指がもっと奥へ──より深く、より熱を帯びた場所へ触れたとき、彼女の喉の奥から、ごく小さな、かすれた音が漏れた
「……っ」
彼女を見ると、彼女もまた、こちらを見つめ返していた
視線は熱を帯びていて、揺れていた
再び、指先が同じ場所をなぞる
今度は明確に、吐息がこぼれた
「ん……ぁっ……」
それが、彼女の声だった
今夜、初めて耳にした──
彼女の「言葉ではない」声
それまで交わしたのはメールだけ
ボタン音と画面の文字だけで、互いを探ってきたこの夜に、
ついに、生の声が漏れ出た
それはささやかな音だった
けれど、あまりにも確かで、こちらの全身に突き刺さるような、鮮烈な感触だった
まるで、鍵を開けてしまったような感覚
静寂の部屋に、初めて波紋が走る
彼女は息を飲むように、喉を鳴らし、少しだけ身をくねらせた
そのたびにセーラーの裾が揺れ、素肌の下で熱がうごめいていた
──その夜、彼女の最初の声は、
メールでもなく、挨拶でもなく、
ただ、小さな喘ぎだった
そしてそれは、言葉よりもずっと深く、彼女をこちらの中に刻みつけていた
彼女の身体は、指に、舌に、そして私の男根に応えて、
静かに、けれど確かに震え続けた
声を押し殺すたびに、喉が小さく鳴り、
息が荒くなり、汗が肌に滲む
それでも彼女は一度として「やめて」とも、「もっと」とも言わなかった
言葉はなく、ただ身体だけが、求めていた
指が深く触れたとき──
舌が敏感な場所を掠めたとき──
彼女は身をよじり、小さく息を詰め、
そして震えるように絶頂した
一度、二度──
そのたびに、彼女の肌は少しずつ赤く染まり、
足先が丸まって、喉から短い喘ぎがこぼれた
「ん……っ、あ……ぅ……」
そして、最後に、私自身を受け入れたとき
彼女は背中を反らし、爪がシーツを掴む
その身体の奥で、確かに果てた
何度も
何度も──
まるで、沈黙のなかに埋もれていた感情が、
夜の底から浮かび上がるように
それでも、言葉はなかった
全てが終わったあと
シャワーの音も止み、
冷めたお湯の香りが部屋に残るなかで、
彼女は、静かに服を着て、髪を整えた
私もまた、声をかけなかった
名前も、本名も、互いに知らないまま
彼女は携帯を手にし、
画面に一言だけ打ち込んだ
〈よかった〉
それが、最後の言葉だった
私もただ一度だけ、返信をした
《俺も》
そして、二人は部屋を出た
エレベーターも無言
一階に着くまでの短い時間
口づけを交わした
ロビーを抜け、夜の街へと戻っていく
すれ違う人の流れのなか、彼女はふいに背を向けて歩き出す
手を振ることも、
「またね」と言うこともなく
──別れの言葉も交わさずに、
私たちは、静かに別れた
まるで、はじめから名前などなかったように
あの夜が、夢だったかのように