大学4年の頃、ゼミの教授と助教授とで発展途上国の文明とは程遠い少数部族の技術支援にいった。
国や名前を出すと身バレするかもしれないからかなり大雑把に書く。
教授と助教授は2人とも女性で、教授は当時63歳と助教授は36歳だった。
2人とも何度もこの部族に接触し、色々な技術指導をしていた。
なんせ最初は食べ物は焼くか生で食べるかしか選択肢はないし、衛生という概念がなかったらしい。
また狩猟のみで食い繋いでいたから、近年の気候変動や森林の減少で存続が危ぶまれていた。
そこでこの発展途上国のお墨付きを与え、農業や衛生教育を続けてきたとのこと。
現地では国公認の通訳ガイドが同行する。
この日本人一団に犯罪の類を犯すと最低でも鞭打ち、酷ければ拷問と御触れが出るほどのVIP待遇だった。
そして将来、海外支援の仕事を目指していた私が論文の為に同行した。
ハッキリ言って言葉は全くわからない。
助教授は何とか理解できるレベルで、教授はペラペラだった。
2人とも慣れたものだからいきなり別行動になった。教授は国の大臣と別の保護区へ。
助教授と私は支援を続けている部族へ。
到着すると「◯◯〜!」と助教授の名前を呼びながら子供達が集まってくる。
助教授は街で買った本や文房具を与えていた。
それから早速課題である衛星教育に取り掛かった。
7日間、とにかく指導した。
糞尿を飲み水の近くでしない。
汚物を洗う時は川の下流でする。
などなど、病気にならない方法を教え続けた。
私も怪我をして化膿している子供を治療したり、熱を出している人の手当をつきっきりでやった。
薬は使えない。
近くの街で手に入るものしか使えないという制限の中で必死でやった。
4日目になってようやく目処がたってきた。
通訳もスムーズにやってくれるおかげで信頼関係を作れた。
その夜、村長に呼ばれご馳走らしい食事が振舞われた。そして通訳が村長の言葉を訳した。
「◯◯は私達の救いの神だが、その教え子の主も素晴らしい才能の持ち主だ。男のお前には村に種を撒いていって欲しい。」
種という単語を聞いて、何か記念の作物でも作りたいのか?と思っていると助教授から「子供を作れってことよ」と教えられた。
通訳と助教授から村長の依頼は断るなと言われた。助教授は郷に行っては郷に従えを尊重する人だった。
そうこうしているうちに私は村長の家の寝室に招かれ、待つ様に言われた。
そして酒の様な物を持ってこられ、通訳から「この村には4人の年頃の娘がいる。1日2人ずつ来させるから、ゆっくり種を蒔け。」と言われ酒らしい飲み物を飲むよう促された。
すると頭がフワフワして途端に勃起しだした。
身体中は熱いし、股間の血流が脈打つのがわかった。
そこに助教授が入ってきて「あ、効いてる効いてる(笑)これね〜、何かは言えないんだけど、この国は合法だから気が済むまで楽しんじゃって(笑)後で私も混ざるからさ〜♪」どうやら助教授も飲んでいるらしい。
そして入れ替わりに女の子が入ってきた。年齢は言えないけど、日本の友達に言ったら恨み殺されそうになった。
その幼い子が股間から汁を垂らしながら入ってきた。あの酒?を飲んだみたいだ。
女の子は私の股間のモノを両手で拝む様に撫でて跨った。
「アイギーーー!」と痛がりながら、でも抜かないで必死に上下に動く。
私もアレの効果で敏感過ぎて瞬く間に女の子の中に種を出した。
女の子は「アイガトー」とお礼をして出て行った。
そして次の女の子が入ってきた。
少し年上になり胸の膨らみも立派にあり、メリハリがある。
でも美人というには程遠い。
彼女も同じ様にアレを飲んできているらしい。
股間から垂れる汁もそうだけど、乳首がすごく立っていた。
この子も同じで拝んで跨る。
流石に2度目なので少し余裕があった。
座ったまま胸を弄ぶ。
ものすごく柔らかくて張りがある。
「あいいーー」と声を上げるので床に寝かせて正常位で動いてみた。
バタバタと悶えているのに咥えたチンコは吸い続けるばかり。
10分もしただろうか。
彼女にも発射した。
そして次に入ってきたのが助教授。
「これはお酒のせいだから!村長の好意を無下にはできないから今日は忘れて!身を任せて!」と私に乗っかり腰を振る。
物凄いヌルヌルに何か慣れたものを感じた。
いっこうに治る気配の無い勃起。
むしろどんどん脈打ちは激しくなり、曲がると言う妥協を許さない直立不動の棒になっていた。
助教授の白い肌と肉付き、胸の揺れに飛びつき激しく腰を振った
「いいよ!いい!お酒のせいだから、気にせず動いて!」と30分はフンフン言いながら動き助教授を昇天させた。
イけなかったので再び女の子達を呼んでもらい、順番に種を仕込んでいった。
助教授も2度ほど復活して混ざった。
お酒の効果は4時間くらい続き、精魂尽き果てた。
そして翌日も違う女の子が入ってきて同じことをする。助教授もまた混ざる。
翌日、私たちは日本に戻った。
それから5年後くらいで不意にニュース番組をみた。それはとある部族が日本人の様な顔で肌も少し明るい茶色。
4人の子供と母親は楽しそうに共通の父親を待っているらしい。
なんとか再び訪問して新たな種まきもした。
そして村の半数が日本人ぽい顔立ちの部族がいるとニュースになった。