コロナウイルスの為、自宅待機を命ぜられ家に閉じ籠りの毎日です。
婚期を逃した娘との2人暮らしの、まだ女を捨てきれない47歳のシングルマザーです。
息が詰まる毎日に、ふと見かけた山の景観が忘れかけていた思い出を蘇らせてくれました。
内容が内容だけに愚痴る相手もいなくて悶々とする毎日でした。
偶然に見かけたこのサイト、しかもかなりきわどい猥褻な内容に気を惹かれました。
つたない文章の中に、今の私のはしたない思いを書き述べてみたいと思います。
九州は大分県に位置する九重連山での出会いでした。
それは数年前の今頃のミヤマキリシマが咲きほこる頃の出来事でした。
数人のグループによる九重連山の大船山への登山でした。
気心の知れた職場のグループによる旅行でした。
途中仲間の一人が偶然の事故により足首を捻挫してしまいました。
女性だけのグループだけに途中引き返すしかありませんでした。
そこへ通りがかったのが若い男性ばかりのグループでした。
その風貌から明らかに山男とゆう感じでした。
私たちの年齢から見ると息子とみられてもおかしくない年齢の人たちでした。
その中の一人の若者の処理によりそれ以上の痛みはなくなったようでした。
思わぬアクシデント以上に話題になったのは彼らのことでした。
ミヤマキリシマの咲き乱れるなかで彼らと写真を撮ることが出来たことが今回の一番の収穫だったと皆一様に喜んでいました。
それは山男の内から醸し出すオオラに圧倒されたことでした。
その日は、湯布院の夢想園での一泊でした。
小さな宴会のなかでも話題は九重で出会った山男たちの話で盛り上がりました。
それから数カ月後、夏の厚い夕暮れ時の日曜日のスーパの店内でした。
何気に見渡すスーパで、彼の買い物をする姿を見かけたのです。
若い女性同伴の買い物姿でした。
九重で出会った山男の姿ではない、ラフな服装でした。
何度も見返しましたが、あの時の優しい眼差しに彼だと確信しました。
私の不審な気配に感じたのか、目と目が合ってしまったのです。
軽く会釈をして去ろうとする私に、意外にも彼が話しかけてきたのです。
信じられないことに、その時の事を覚えていてくれたのです。
嬉しさ半分驚き半分で、しどろもどろに話す私に優しく話しかけてくれたのです。
同伴の女性は彼の妹ですと紹介してくれました。
彼はこの近くの有名国立大学の学生で3年生になると紹介されました。
この春、妹も同じ学校の看護学科に入学したとのことでした。
お互いが奨学金をもらってのもぎりぎりの生活の為、同じアパートに同居生活をしている
とのことでした。
それからは日曜日の夕暮れ時欠かさず買い物をする自分の姿がありました。
なぜかいつも日曜日の夕暮れ時になると、心が弾んでつい鼻歌がでてくるんです。
知らず知らずの内に、彼に会えるかもしれない心のときめきが私を弾ませるんです。
気が付けば、私の独りよがりの妄想が始まったんです。
現実には、あれから彼と出会ったのは一度だけでした。
彼の爽やかな話には、将来の事や今の現状の生活を隠すことなく話してくれました。
私の心の中で、山男たる彼の好感度はますます上がるばかりでした。
何気に見ると、確かに買い物かごに入っている品物は特価品の品物ばかりでした。
家からの仕送りがほとんどないぎりぎりの生活に四苦八苦する姿が目に映るようでした。
家庭教師などで稼ぐ金額もたかが知れているようで、自分をさておき妹にはしっかり勉強
してほしいと、兄なりの思いやりがあったようでした。
それからの毎週日曜日の夕方には、スーパでの買い物が日常のルーテーンになりました。
ある時には,おせっかいを承知で彼の買い物袋に牛肉の塊を入れることもありました。
月日は経ち、厚い夏が過ぎ、秋の気配を感じる頃には近くの喫茶店んでお茶を飲みながら
の会話を楽しむ二人がいました。
九重で出会った頃の話に、彼は必ず四季を通じて仲間と九重連山を縦断するそうです。
今年の秋には九重の紅葉したカエデ、モミジ、ハゼを二人で見に行こうと約束をしました。
彼が提示した約束の日が近ずくにつれ、車の手配、宿の手配は私が手配しました。
頑なに拒む彼をようやく説得しての手配でした。
目指すは九重連山の大船山です。
日帰りを希望する彼を説得して、奮発して各部屋離れの露天風呂付の和風旅館です。
九重の紅葉はこの世とは思われない紅一面のじゅうたんを敷き詰めた艶やかでした。
青空とのコントラストが見事に山々の紅を引き立たせていました。
時間の経つのも忘れてはしゃぐ車の振動が心地よい疲労感を呼び戻します。
沈む夕日を背に受けながら目的地の宿泊地に到着しました。
案内された離れの客室には、かけ流しの露天風呂が完備されていました。
風情のある露天風呂に、心なしか口数少ない緊張した彼の姿がありました。
初めて垣間見る彼の裸体は、山男そのままでした。
背中越しにお湯を流す彼の肉体は、見事に温泉のお湯を弾き返していました。
引き締まったお尻、逞しい太もも、胸筋につながる腹筋、そのどれも無駄な肉はありませ
んでした。
タオルを片手に、彼の背中かたお尻。太ももへと添える手が震えるのを止めることが出来ませんでした。
股間の中心に見え隠れする彼の物は、既に興奮ていました。
私が今まで拝見した中でも類を見ない大きさと形でした。
私しかいないなかで逞しくなった彼の物に少なからずも安心と期待を感じていました。
今の若者のあれは食生活の変化か外国人と引けを取らない大きさだと聞いていました。
まさに、目の当たりにするそれは外国人並みかそれ以上かもしれませんでした。
期待したこともないまま、個室の食事処に案内されました。
盛んに恐縮する彼に余計なプレッシャーはかけまいと、聞き流すことにしました。
地元の食材を使った美味しい食事と、地酒に酔いしれて二人部屋に戻ることにしました。
飲みなれないアルコールか、昼間の山歩きの疲れか、徐々に心地よい眠りの世界に引き込
まれていきました。
どれほどの時間が経ったのか、暗く静まり返った部屋には微かな彼のいびきが聞こえてきます。
枕もとに置かれたスタンドの薄明かりを頼りに、布団に包まった彼の寝姿に魅入られたようにじっと見つめていました。
なぜか意味もなく、涙が溢れてきました。
私も女だよ。振り向いてよと心の中で叫んでいました。
いびきが聞こえなくなったと気づくと同時に、彼の布団の中に引きずりこまれました。
狂おうしく求めてくる彼の口づけに、安堵と嬉しさがこみ上げてきました。
彼の性急に求めてくる行為に、思わず喜びの声を上げてしまいました。
私の身体の受け入れ態勢が整うのに、時間はかかりませんでした。
私の体をまさぐる彼の手が私の躰の中心に辿り着いたとき思わずのけぞりました。
枕もとを照らす微かな薄明かりが彼の体のシルエットを浮かびあがらせいました。
思わずはしたなくも、天を向く彼の物に頬ずりする私がいました。
畏敬の念を抱きながらも彼の物を口に含む私の行為も、すでに限界に達していました。
思わず彼の耳元で囁きました。そして彼は大きく頷きました。
この瞬間をどれだけ待ったことでしょう。
いつも妄想に浸りながら一人慰める私でした。
数えきれないほど、彼との愛の行為のシュミレーションをしたことでしょう。
今まさに念願の妄想が、現実の事となる瞬間でした。
彼の物が私の中に少しづつ挿入されてきたとき、私の子宮奥深くに達した時には私の
記憶はそこで途絶えてしまいました。
心では理解していた行為が、予想外の異物にかき乱され快感が脳天を突き抜けたのでした。
意識が戻っても、彼の物を感じるほどの余裕は残されていませんでした。
彼の物で串刺しされたような感覚に、声にならない歓喜の唸りをあげていました。
彼の終わりを告げる許しの声にも、その動きに合わせてやっと頷くだけでした。
ほとばしり出る彼の熱い精液を全身で受け止めながら、震えが止まりませんでした。
女としての喜びに打つ震える自分の体と心に、涙が止まりませんでした。
生理が終わっていない私にとって、妊娠することの可能性は残されています。
それよりもこれから先、女としての自分を振り向いてくれる人がどれだけいるだろうか?
それよりも、体が女としての機能を果してくれるのだろうか?
女を捨てきれない私にとっては、彼が私の最後の男かもしれない。
そう思うと妊娠とゆう大きなリスクを負っても、女として生きて行きたいと決めました。
その後、男女の関係は彼の卒業するまでの1年あまり続きました。
彼から与えられるセックスは、私を必ず至福の世界へと導いてくれました。
生真面目な彼の性格が、気が付くと私好みのテクニックを身につけていました。
彼から与えられる無限の快楽が、初めて女に生まれてよかったと実感させられました。
瞬くまに、彼とのセックスが私の身体を完全な女性にしてくれました。
精神的満足感なのでしょうか、肌も髪の毛も生きがえったように綺麗になりました。
あれほど不順だった月のものも毎月計ったように訪れるようになりました。
身体が彼の子供を欲しているのではと勝手に思うこの頃でした。
身も心も捧げる彼に精神負担をかけないように、私なりの配慮をしていました。
当然のことながら、経済的援助は出来る限りしていきました。
皮肉にも、その援助が諦めかけていた彼の夢の実現に貢献することになったのです。
卒業後は、国際NGOで働くため海外へ旅立って行きました。
彼の夢であった途上国での貧困、人権の問題に本気で取り組むためも活動でした。
途上国で働く彼のことが心配で心配でテレビ、新聞から知り得る数少ない情報に毎日
悶々とする毎日です。
今年の5月の連休には日本に帰ってくる予定だったんです。
そして九重連山への山登りも約束していました。
憎きは、新型コロナウイルス。
早く消滅するよう願って、私の愚痴を終わりに致します。
拙い自分本意の作文を、お読みいただきましてありがとうございました。