「え? 本当にいっちゃったの?」
でも、倉田さんは、直ぐににっこり笑って、僕の口の端にキスしてくれた。
遡ること、一週間、僕たちは、システィナ礼拝堂にいた。
朝から壁と天井一面の壮大なフレスコ画なるものを見上げながら、運命の不思議さを感じ
ていると、
「田中くん、次、いくよ」
と呼ばれて、我に返った。
「ちゃんと、ついてきてね。 田中くん、直ぐに迷子になっちゃうから」
『チェッ、痛いところ、突いてくる』、僕は心の中で、口を尖らせながらも、素直に『はい』
と、いいお返事をして、倉田さんの真っ赤なダウンジャケットを追った。
「何、食べる?」
さぁ、この返事が難しい。ここに着いて、最初の食事だから、倉田さんは、絶対に食べた
いものがあるはずだ。
「折角だから、パスタですかね」
無難なところで、そっと、探りを入れてみる。
「うん、いいね。私、行きたいお店あるんだけど、いい?」
ほら、きた。
「広場を出て、お城の前の橋を渡って、真っ直ぐいったところのが、美味しいんだって」
『そこまでピンポイントで決まっているのなら、最初からそう言ってよ』と言いたくなる
が、口が裂けてもそんなこと、言えない。
僕は、ニッコリと微笑んで、親指を立てて、『いいね!』をして見せた。
倉田さんは、僕の手を取ると、手を繋いだまま、ジャケットのポケットに入れてきた。そ
れから軽く肩をぶつけてきて、僕に歩き出すよう促した。
着いたレストランは、小さいけれど、きちんと手入れの行き届いた、いいお店だった。
倉田さんが、テキパキと何かを頼んで、メニューをおいた時、僕は漸く、日本を出る前か
ら聞きたかった質問をした。
「あの・・・、どうして、僕たち、地球の裏側まできてしまっているんでしょう?」
倉田さんは、菜箸みたいに細くて硬い、カリカリしたものを口に運びながら、
「ちょっと、非日常がほしいかな、って」
と答えた。
しかし、それでどうして、後期の試験が終わると同時に、往復の航空券だけ買って、ホテ
ルの予約もせずに、日本を飛び出してしまうことになるのか、僕の理解は追いつかない。
倉田さんだって、4月からの社会人としての準備があるはずだ。
「これからの日本って、どうなるのかなぁ?」
『うわぁ、壮大なテーマをありがとう。でも、ノンポリの僕は、そんなこと考えたことな
いっす』、
素直に『はい』とは言い難かったので、曖昧に、
「はぁ」
と答えると、倉田さんは、窓の外を見ながら唐突に、
「あ・・・、あの二人、ポイ捨てした・・・」
見ると、僕たちぐらいの若いカップルの足元に、何かを食べた後のゴミが転がっている。
「あれ、絶対、日本人だよね。海外だと、どうしてこう、マナーが悪くなっちゃうんだ
ろう」
僕が、曖昧に頷くと、
「ねぇ、田中くん、なんか言ってやってよ」
『え? 僕?』
いや、いや、いや。倉田さんは、正義感の塊みたいなひとだから、そういうの平気かも
しれないですけれど、僕は、羊のようにおとなしい、ことなかれ主義のノーと言えない
日本人です。人さまに注意なんて・・・。
そう思って、倉田さんを見返すと、倉田さんは、外の二人を、黙って、じっと見つめて
いる。
僕は、男だ、男だ、男だ・・・、そう自分に言い聞かせて意を決すると、僕は店を出て、
カップルに歩み寄った。
「あの・・・、余計なお世話かもしれませんけど・・・、こういうの良くないと思うん
です・・・」
足元のゴミを指差しながらそういうと、二人はバツの悪そうな表情を浮かべ、小さな声
で、『スミマセン』というと、ゴミを拾って、足早に立ち去っていった。
僕は、ホッと胸を撫で下ろし、踵を返して店に戻ると、倉田さんが、驚いた顔をして僕
を待っていた。
「え? 本当に言っちゃったの?」
『それは、ないよ、倉田さん。倉田さんが、言えって、言うから・・・』
絶句する僕の表情に、すべてが表れていたのだろう。
倉田さんは、直ぐに、にっこり笑って、僕の口の端にキスしてくれた。
「ありがとう。でも、こういうの危ないから、もうやめてね」
本気と冗談の区別もつかない、駄目な僕。さっきのカップル以上に僕はバツが悪かった。
・・・でも、今日の倉田さん、なんだか変だ。
空いてたホテルは、ツインルームだった。シャワーを浴びて、それぞれのベッドに潜り
込むと、外で爆竹を鳴らす音が聞こえた。
灯りを消した暗がりの中で、倉田さんの方に身体を向けて、手を伸ばすしぐさをすると、
倉田さんは起き上がって、僕のベッドに潜り込んできた。
倉田さんが、僕の胸に顔を埋めてきたので、僕は倉田さんの細い身体を抱きしめた。
気がつくと、倉田さんの身体が、震えている。
『あれ? え? 泣いてるの?』
僕は、慌ててベッド脇のライトを点けて、倉田さんの顔を覗き込んだ。
「ど、どうしたんですか?」
「ううん、なんでもないの」
倉田さんは、指で涙をぬぐうと、無理に笑って見せて、僕のかををじっと見ながら、指
を櫛のように僕の髪に入れると、優しく撫ででくれた。
これは、おかしい。いくら鈍感な僕でも、わかる。
僕は、倉田さんの上体を抱き起こし、足を伸ばしたままベッドに据わらせると、その横
で正座をして訊いた。
「倉田さん、何があったんです?」
最初は、首を横に振るだけの倉田さんだったが、珍しく僕が、
「倉田さん!」
と、強く促すと、こうだった。
入社前検診で、『胸に異常あり、精密検査の必要あり』との診断で、生検とかいう組織
検査までも受けたらしい。
「ここに、しこりがあるの。わかる?」
倉田さんは、僕の手をとって、自分の左胸に押し当てた。
『え? え? それって、ガン?』
目で尋ねる僕に答えるように、
「乳がんの疑いがあるって、いわれた」
僕がショックで口が利けないのを見て、
「マンモグラフィーって言ってね、おっぱいを万力みたいに挟んで、潰して検査するん
だよ。痛いの痛くないのって、痛いんだけど・・・、大変だったんだから」
倉田さんは、冗談を言うように、笑いながら言ってたけど、僕は笑えなかった。
「ただでさえ、あんまり、胸ないのに、切ったらなくなっちゃう・・・」
僕は、なんと言っていいのか、わからなかった。
「田中くん、ここは、笑うとこだよ」
僕は、笑えない。
笑えなくて、倉田さんを抱きしめると、
「こわいよ。田中くん、私、こわいよ」
「検査の結果、ひとりで待ってるの怖くって、田中くんと一緒にいることにしたの」
「切ることになったら、しばらく、どこへもいけないし・・・」
『大丈夫だよ、大丈夫』
倉田さんに、気の利いた言葉も掛けてあげられなくて、僕は倉田さんをただ、抱きしめる
しかなかった。
「田中くん、私のおっぱい、見ておいて」
薄暗がりの中で、倉田さんは、パジャマの前を開けると、そういった。
小さいけど、お肌はすべすべで、つんとしたきれいなおっぱい。日中見た、どんなきれい
なビーナスよりも、きれいな倉田さん。
ピンク色が、少し濃くなってきたと、いつだったか言ったとき、『田中くんの所為だから
ね』と、ちょっとうれしそうに言っていた自慢のおっぱい。
「吸って」
大丈夫なの?って、顔をしたら、ゆっくり頷いて、倉田さんは僕の頭を自分の胸に抱き寄
せた。
赤ん坊のように、ちゅうちゅうと、倉田さんの乳首を吸う。
倉田さんの指が伸びてきて、僕のジュニアをやさしく包む。
倉田さんは、ゆっくりと僕を押し倒し、トランクスごとパジャマのズボンを脱がすと、ゆ
っくりと僕に舌を這わせてきた。
それから倉田さんは僕の腰の辺りに跨ると、僕は、暖かい倉田さんの中に入っていった。
活動限界まで、あと、60秒。僕は、上体を起こして、倉田さんの胸に吸い付くと、倉田さ
んも腰を前後に動かしながら、僕の頭を抱きしめた。
・・・10秒・・・、5、4、3、2、1・・・。
こんなときなのに、僕は倉田さんの中で、激しく波打つと、精のすべてを解き放った。
倉田さんも、大きく仰け反った後、僕の肩に顎を乗せながら、ときどき、身体を震わせて、
呼吸が整うのを待っていた。
「いつも、振り回して、ごめんね」
倉田さんらしくない、殊勝な言葉が、倉田さんの口からこぼれる。
だが、それは、長くは続かなかった。
☆
帰国して、翌日の夕方、時差ぼけで、夢と現を行ったり来たりしているところへ、倉田さ
んはやってきた。
食材でいっぱいのビニール袋をもったまま、倉田さんは、僕の枕元に正座すると、
「倉田、生還しました!」
と敬礼してみせる。
「良性だったって。心配ないので、経過観察しましょう、っていわれた」
そういうと、倉田さんは、僕の首に抱きついてきた。
『なに? 検査の結果、一緒に聞きに行くんじゃなかったの?』
そんなことも頭をよぎったけれど、うれしそうにはしゃぐ倉田さんを見ていると、そんな
ことはどうでもよくなった。
「これからは、週末しか会えなくなっちゃうけど、これからもよろしくね」
そういうと、倉田さんは、台所に立って、腕まくりをすると、夕食の支度を始めた。
その姿を見ながら、思った。
『週末だけだって、何だっていい。倉田さんさえ、元気で、傍にいてくれたら』