派遣先に28歳の中国人女性がいた。
ビジュアルはローラ・チャン似、スタイルもすらっとして背も高く、さぞかし人気者かと思いきや、大陸系でおなじみの、モノをはっきり言うきつい性格。50人いる社員とは誰ともなじまないそうだ。
でも、なぜか35歳の僕とは気が合う。僕の父は旧満州のハルピン(現黒竜江省)出身。いわゆる「中国残留孤児」で、子供の頃から戦中・戦後の中国のこと、日本との関係・当時の状況について聞かされていたことが、僕の発言や態度に表れているんだと思う。偶然にも彼女もハルピン出身ということで、お互いに興味を持った。
日々少しずつ話をし、昼食を一緒に取ったりしてきたことで、僕にはいろいろ心を開き、プライベートなことも話が出来るようになった。僕が週3回の派遣出社の時が待ち遠しかったらしい。
そんなある日、あの大震災が発生。中国にいる彼女の家族は、「すぐに帰ってきなさい!」と。。日頃から「日本が大好き」という彼女、「帰りたくない、でも家族からの懇願では仕方が無い」。僕にも相談があり、「やっぱり帰ったほうがいいよ」としか言えません。結局、4月末には帰国することとなりました。
出発前日、「たぶんもう日本には帰って来ないので、最後の日を一緒に過ごして欲しい」と彼女から電話。下心が無い、といえば嘘ですが、最後の日本を存分に楽しんでもらうよう、車で都内循環ドライブ。
「もうこの風景は見れないのかなあ」
「しっかりと目に焼き付けておくんだよ」
という会話を交わしながら、夕ご飯を一緒に食べ、いよいよお別れの時間となりました。
「あの・・あの、もうひとつお願いが・・」
「ん、なに?」
ちょっといい雰囲気です。
「あの・・、最後だから、私で良ければ、キスして欲しい・・」
「キスだけでいいの?」
「ううん・・ううん、ほんとは抱いて欲しい。最後だから、もう日本には来ないから、あなたとの思い出に、抱いて・・」
「もちろん・・いいよ・・」
車に乗り、ずっと手を繋いだまま、ラブホテルへ。
到着して部屋に入った途端、貪り合うように激しく抱き合います。
「そう言えば、中国人とのHは、初めてか。。」と頭をよぎりました。
一緒にお風呂入ると、まあまあいろいろ、手際がいい。
「実はネ、最初に日本に来た時に、風俗で働いていた」って。留学で来た学生や工場で働いていた中国人女性が、食うに困って違法な風俗で働いているのは、聞いたことがある。やっぱりいろいろ大変なんだなあ、と。
ベッドアクションも、いわゆる床上手。。昔取った杵柄なのか。。Fも絶品。こんなかわいい娘のS的行為は、相当な興奮を覚えます。「私、男の人が気持ちよさそうにしているの見るの、大好き」と。僕は何もしてないのに、彼女はグショグショになってます。、中国人って、みんなそう?
「ナマで入れて。。でも外に出してね」約10分の交わりの後、外で果てました。彼女も久しぶりのHで、満足出来たようでした。
翌日、羽田空港まで見送り、もう2度と会わないんだろうなあ。
震災がなければ、原発事故さえ起こさなければ、今頃はお付き合いしていたかもしれない、ちょっと甘い思い出です。