1年間、アメリカカリフォルニア州でホームステイ留学していました。
その家のジュニアハイスクール生のモニカ14歳となかよくなりました。
大学では、エレン19歳となかよくなりました。
エレンとは1ヶ月後にインサートできました。さすがにアメリカ女は
声がでかいです。が、僕のサイズがもと彼よりも小さいので、すぐに
飽きられてしまいました。コンプレックスをもった私は、モニカに手を
出しました。彼女ならバージンだからです。14歳といっても体はもう
本当に大人でした。Hymenは薄いピンクでした。
さすがにバージンでしたから、痛がりました。
ピルを飲んでいましたから、中だしOKでした。
こっそりつきあっていたのですが、彼女のバースデイに
彼女とつきあっていることをホームステイの家族に
報告すると祝ってくれました。公然とデートができるようになりました。
ハローウインの仮装パーティがありました。
夜は仮装乱交パーティになりました。15対15です。
最初はモニカとしていたのですが、いつのまにかほかの男とやっていました。
それならと私も手当たり次第に5人とやりました。
インサートだけなら10人をこえました。
なかに日本人の留学生ユキコ19歳もいました。
もちろんバージンではありませんでしたが、いちばんフィットしました。
エイズが心配なのでコンドーム付きです。日本製でした。
あとでモニカに聞くと、8人までは覚えているそうでした。
モニカのヴァギナはすっかり汚れて広がってしまいました。
それに悪いことに大きく太いペニスを知ってしまいました。
私とのセックスもだんだん避けるようになりました。
しかたないのでユキコを呼び出してやるようになりました。
ユキコは日本に恋人がいますが、留学中はいっぱいプレイすると言っていました。
私もセフレの一人です。気軽にやりたいときに時間があえばセックスしました。
そんなとき、大学にあらたに留学してきた日本人のマリコ19歳が来ました。
かわいいです。私はマリコにアタックをはじめました。
レクチャーを終えると、毎日、あちこち案内をしてあげたのです。
すっかり、マリコは私にうちとけました。
しかし、真面目なマリコはなかなかセックスには臆病でした。
なかなかインサートはさせてくれませんでした。
いつ襲われるかわからないからピルは飲んでいたほうがいいよと
教えるとそれは素直に飲むようになりました。
これで、イジェクレイトできます。
クリスマスイブの昼に、とうとう、インサートできました。
見事なバージンでした。
When breaking the hymen of MARIKO, it complained of a pain very much.しっかりとスペルマをたっぷりとイジャクレイトしました。
バージンのマリコに3ラウンドしてしまいました。
その夜は、ホームスティの家でパーティがありました。
モニカともかたちのうえではつきあっていますから、
なかよくして、久しぶりにセックスをしました。
モニカはヴァギナだけでなく、アナルまでもうすっかり開発されていました。
こうしてマリコを中心に、ユキコ、モニカとセックスをつづけました。
ときどきはユキコに誘われてユキコをパートナーとして
乱交パーティにもいきました。3回ありました。のべ20人ほどとしました。
帰国があと1ヶ月にせまりました。日本人の女子大生グループ4人に
観光案内を頼まれました。卒業旅行に来たようです。
おどろいたことに乱交パーティに行きたいというのです。
ユキコに連絡すると、明日の夜あるといいました。
そこで、いちばん可愛いサキ20歳を私のパートナーとして選び、
事前審査と称して、その夜は4人のホテルで5Pをしました。
マナミだけがバージンでした。ピルは昼間飲んだばかりなので本当は
まだ危険なのですが、マナミにはスペルマをたっぷりディスチャージしました。
4人一巡した後、友人のホワイト、ジミーを呼びました。
彼らはエイズの心配はないことを話して安心させました。
その夜、もう乱交パーティになってしまいました。
結局、次の夜はパーティにいかず、3人で4人とやりまくりました。
サキたちは次の日、満足して帰っていきました。
こうして、日本人女子大生や女子高校生を観光案内しては、
ホワイトたちと乱交パーティをしました。
彼女らのロストバージンは私の役でした。
ホワイトのは太すぎてバージンにはあまりにも苦痛で気絶してしまったからです。
ある4人グループは1人以外3人バージンでした。
1ヶ月で8人のロストバージンを手伝ってあげました。
この夏にはまた留学をします。またホワイトらと楽しむつもりです。