「公共の肉便器」
その言葉、まさにその通りになりました。
ヤラれたくて、ヤラれるために、私は映画館ではなく、週末は喜楽会館に行く様になりました。
恋愛対象は今でも女性ですが、頭ではホモを否定しているクセに、性欲対象は完全に男でした。
ハメるより、ハメられる喜びを知ってしまったから。
当時は自覚がありませんでしたけど、この頃からすでにメスとしての肉便器に目覚めていたのかもしれません。
書いてませんでしたけど、当時私が住んでいたのは札幌、ススキノには今の倍以上の風俗店があり、今はもう無いストリップ劇場が2軒、成人映画館も3軒あったのですが、それも今はゼロみたい、まだ日活ロマンポルノがあった時代でした。
ホモの為の施設も、喜楽会館以外にも複数ありました。
ゲイショップもあり、ゲイバーやゲイスナックも結構ありました。
ゲイショップ以外は、行った事ありませんけど。
喜楽会館以外にも、M旅館や民家を改造したゲイ施設やハッテンサウナなど、男同士のハッテン場には全部行きました。
もちろん、ハッテン公園にも。
ですが、確実にセックス出来るのは、箱型のハッテン場でした。
中でも、喜楽会館は最高でした。
まだ20代の頃、モテました。
行くとハズレの日でも5本以上、毎回10本以上のチンポを食べていました。
それも20代まで、30歳を過ぎた辺りから、お相手が減り出しました。
チンポにはそれなりに自信はあったのですが、私はウケ専でタチは出来なかったんです。
私がタチを出来たのは、アナルの快感を知るまででした。
ウケの喜びを知ってしまってからは、ハメても中折れしてしまうのです。
多分、ハメられるのは女になれるけど、ハメるのはホモを感じてしまいましたダメになってしまうのだと思います。
しゃぶり合いなら元気なんですけどね。
そんなんで、喜楽会館からは足が遠退き、熟年層が集まるM旅館では、しゃぶるまでは良いのですが、いざハメるとなると元気の無いおじいちゃんばかりでした。
必然的に、私はまた映画館に戻りました。
だから、フェラチオばかりで、セックスする機会は激減してしまいました。
そんな頃でした、私が女装に目覚めたのは。
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