新婚当初のアパート暮らしと行動が自由されてたのが
劣りとして通学も許されたのと
通学のために一度私の家に行き着替えて電車、バスでの通学
それで妊娠がわかると安定期まで
自由が奪われて
安定期になると通学が再開
お腹が多きるなり隠せなくなるとマタニティを着て一人別室での授業に
他の生徒に知られないようにと言ってたけど
クラスや部活の人には、知られてた。
出産でまた休んでたから
出席日数が足りなくて留年すると思ったけど
手回しの良いことに休んでないことになってました。
一人目を産んだ後で
娘さんが安定してるときに赤ちゃんと一緒にいる時間を作ってた。
それで自分が産んだ子供と認知させるためです。
旦那もアパートにきて食事や赤ちゃんといる写真などを撮影
そのまま夜に私を抱いてた。
お父さんが旦野のいないときにアパートに孫を見に来て写真
泊まっていき種付けして二人をと
狙って来てたけど
二人目も旦那の子供と思った。
お父さんも歳だから勢いも量も少なくて
私を孕ますことができないと思えた。
そして二人目を孕んだのがわかると
こんどは、安定期になるまで
アパートから離れて隠れることになってた。
何か不穏なことがあったみたいで
私は、実の父の叔母の家に子供と身を隠すことになった。
安定期が過ぎるまで
叔母は、私が生まれるからと兄を小学生になる少し前まで預けてた叔母です。
そこにいるときは、自由出歩くことが出来てた。
監視役は、二人離れたとこから見てるのがわかってた。
そんな時に中学生の女の子と妹さんと公園で知りあった。
お姉ちゃんの方がなんとなく私に雰囲気が似てた。
上の娘を公園で遊ばせてた。
仲良くなりその子の家にもお邪魔してた。
その子がのちのち関係
安定期になるとお迎えが来てアパートに戻った。
ゴタゴタも無事に納めたと教えてくれた。
そしてアパートから実家に家が建てられてて
そこが新居になり二人目を出産(男の子)でした。
生まれてすぐの赤ちゃんを娘さんに抱かせたり
出ない母乳を飲ませてるような写真を
それを繰り返してるうちに
良くなっていき私の替え玉の終わる時が近づいてた。子供二人が娘さんのとこにいる時間が増えて
私は、前にいじれてたとこを元に戻し出してた。
隠してたのを出せるようにして
一つの提案か出された。
隠してたのを完全に切り取り性別を女にするのと
前のままに戻すのと
性別を女にしたら二度と家に帰れない赤の他人になってもらうのと顔を完全に別人にすると
そんなのは、嫌だから元のままにと
そうすると男性ホルモンを取らされて
バランスを男性ホルモンが多くなるようにされた。
そして高校卒業後就職して数年間離れてもらうと
私の存在を少しでも知られないために
準備されてたのが
自衛隊に男として入隊です。
私の監視役は、部隊の中にいました。
近くに入隊の試験だと私の身長が足りないのに
検査官が成長だから合格ラインの身長になると見込み入隊に
ホルモンで入隊の身体検査の時には、何とかそれらしく見えるようになってた。
身長だけが足りなかった。
ここで学生の頃の話は、終わりです。
次に書くときは、自衛隊に入隊してからのを書きます。
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