私は、自衛隊を三任期で辞めるのを決めてました。
最後の一年になって決めました。
決めてになったのが最後の正月休暇の時です。
一緒に下宿を借りてた同期が辞めて実家に帰ると決めたのを聞いて
正月休暇の三日間同期の家に遊びに行くことにしました。
同期は、地方なので私より休暇の日にちが長くて
私より先に休暇で実家に戻ってました。
遅れて私も休暇になり実家に帰る前に同期の家に
羽田から飛行機で行き
空港に迎えに来てくれてた。
実家に帰るから荷物が少し多くなってた。
同期のお姉さんの車に乗り家に行き
同期のご両親とお姉さんに挨拶して
明るいうちは、少しの観光して
夜に家でご馳走を頂きました。
同期のお父さんと同期と私でだいぶ焼酎を飲んで話しました。
酔ったお父さんが私の顔を見てて
顔だけ見てたら男と思えんと言われてた。
横でお母さんとお姉さんもそれを聞いて
二人とも私の顔を見てた。
同期が可愛い顔やろって言うと
二人ともほんまやねっと口をそろえて言われてしまった。
その後に同期がチンチン着いてるから男やでと付け加えてた。
先にお父さんが潰れて寝てしまい
次に同期がうとうとし出してた。
お母さんが同期の部屋に布団を準備してくれてて
同期に眠いのなら先に部屋に行って寝なさいと言われてた。
おとなしく言われた通りに先に部屋に行ってしまった。
残ったお母さんとお姉さんと私でもう少し飲んで話をしてました。
一番に聞かれてたのが同期の部隊でのことを聞かれた後に
私のことを聞かれてた。
同じ班なのにほとんど別の訓練と勤務してたからなかなか一緒日常の訓練してなかった。
同期は、銃剣道がうまくて
駐屯地の代表選手に入ってたから
ほとんど銃剣道の練習と他の駐屯地で試合に行ってた。
私は、いろいろさせられ過ぎてた。
駐屯地の食堂勤務や消防隊、駐屯地の警備、中隊の通信手、言えない女装しての特別勤務、
通信手だったからたまに
空挺から一般部隊に行った隊員の降下訓練支援に地方にも行ってた。
まだ新兵なのに駐屯地の戦闘大会にも選ばれて
班チームでの対抗で総合で優秀でチーム全員に三級賞詞を貰ってた。
制服に着ける勲章の色が
私みたいなのが着けてるのがいませんでした。
班長クラスでも貰ってない勲章
勤続年数で貰う勲章は、古い隊員だと着けてるけど
大会で射撃、陣地構築、偵察、攻撃で得点を競うのです。
レンジャー教育の仮設敵をしたり
スペシャルレンジャー教育受けたり
スペシャルレンジャーは、警察のスワットの原形を教える為に見本を見せるためのものです。
駐屯地の中にある隊員の寝泊まりする建物を使って
屋上からロープで降りて途中の窓からの突入とかを見せるため
あとは、消防局のレスキューの基本を教えたりです。
私は、関わってないけどパイロットのパラシュート降下訓練も空挺で教えてました。
警察や消防の初期隊員の教育で
終了した人が戻って教官になるための教育
私が入った頃は、まだ安保反対デモもあったり
成田反対の砦も残ってたし
成田空港の管制塔立て籠りも有りましたね。
デモ対策のためのヘリ移動で上空からロープで降りてデモ隊の制圧訓練もよくしてました。
機動隊と同じ装備で移動手段が大型ヘリを使用して後方から制圧 挟み撃ちですね。
空挺の使われかたは、敵の後方に降りて
後方で補給路を分断したり
陣地を構築して兵力分散させて本隊が来るのを待っ
だから人が減ると単独で考えて行動ができるように訓練されてた。
パラシュートで降りて集結するまでは、一人だから
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