姉の名前使ってますと書いてますが
実際には、従姉の名前です。
私には、兄と弟がいます。
両親は、私がまだお腹の中にいるとき
父や母のお母さん(祖母)や周りのおばさんたちに
兄の時と母の顔つきやお腹のはりぐあいが今度産まれる子供は、女の子だと言われてその気になってました。
その頃は、まだエコーなど無いから年よりの経験から判断されてた頃です。
母も兄の時と違う感覚だったからと聞いたことがあります。
だから揃えられてた赤ちゃんの衣類は、全てが女の子の物でした。
父は、食品関係の会社員
母は、その会社から直売店の権利を持っていてお店をしてました。
出産日が近づくと兄は、父方の叔母に預けられました。
そして大晦日の夜
まだお店を開けてるときから産気づきましたが
お店を閉めるまで頑張り閉店後に病院に
そして新年になって私を生んでくれました。
日数からいくと未熟児です。
そして私が産声をあげたときに
男の子ですと言われたが
産湯で私の体を拭いてて普通の赤ちゃんと違うのが分かりました。
そのために未熟児の他に奇形児とレッテルが
その時にいた看護婦は、母の事や家系を影口で祟りだとか流されたそうです。
医師は、また違った感心を持って私を調べたそうです。
未熟児で奇形児の私がなくなったら研究の為にと父や母に言ったそうです。
生まれたばかりの私も弱々しくて亡くなる可能性があったそうですが
弱いながらもなんとか退院することが出来ました。
出生届を出すのに性別をどうしたらいいか医師に聞いても
今の段階でどちらが働くのかわからない
資料などでは、とりあえず見えるほうを優先するしかないと
今と違いインターネット検索などない時代だから
医師の揃えられる資料にも限度がありました。
それで母の希望を優先して性別を女として出されました。
幼稚園の入り先生から見た目で男の子として訂正しなさいと言われて
関係書類を揃えて役場に出しにいくと
性別訂正なとほとんど無いから
役場ないをたらい回しされたり
書類が足りないと言われたり
医師の診断書も添えてと
診断書を書いてもらうために私を病院に連れて行くとまた
必要以上の検査としょうして調べて
結果は、まだ今の状態で判断しきれなく
すぐに見える見た目の性別に
書類も揃えて修正されたのは、小学校を卒業する少し前です。
成長も他の同級生と違い遅く男とも女とも見ようによって言い切れません
それでも小学校入学の時は、男の子で申請中ですとなってました。
兄と同じように短いく刈られないで女の子の今で分かりやすく言うとわかめちゃんカットでした。
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