初めて穿いたブルマーが提灯ブルマー。しかし、それは現在テレビ放映中の大河ドラマのような深緑色ではなく濃紺色でした。
昭和の後期はアトムパンツとかいうピッタリしたブルマーが全盛でしたが、知る人ぞ知るこれも東京オリンピックのロシア選手の影響でしたね。
提灯ブルマーは基本的にはギャザー仕立て、いわゆるプリーツの入ったもので、膨らみはこのプリーツが拡がることによるフンワリ感です。最初から袋のようなものではありませんでした。
たしかに“カボチャブルマー”と称されるタイプのブルマーもありましたが、いやいやこれは赤ちゃん用のオムツと同じ。あまり格好の良いものではありませんね。
この提灯ブルマーの穿き心地は下に穿く下着で決まり、私の場合男子用のブリーフでした。穿くといつの間にか太股の付け根辺りまでズリ上がり、おそらく東洋の魔女たちはその煩わしさを省くために最初から穿き口を太股の付け根まで引き上げてたんでしょうね。
女子バレーボールのブルマーが進化していっても、ブルマーの穿き口にタオルを挟む姿、あれば指先の汗を拭うためのものだったとか。ま、ブルマー穿いてオナニーする際に汗を拭うことはないと思いますけど。
当時は小学生でしたしブルマーがどこで販売されてたかは知る由もナシ。小学生の時は男女ともショートパンツだったのに、転校した途端に女子は濃紺のブルマー。正にカルチャーショックでしたね。でも貧相な体型のアトムパンツ姿の女子には興味はありませんでしたね。
精通はあっても透明なネバネバ汁。提灯ブルマーは大事に使用してましたよ。
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