2さん、こんにちは
私や彼女達が気性が激しいかというと…
うぅ~ん… 普通…かなぁ?
普通でない、激しい、となると
私的には
ちゃぶ台をひっくり返す昭和のお父さん的なモノを想像するので、
それは自己統制の訓練の欠落だったり
ある種の軽度な機能障害のように思えるので。
ただ、どんな人の心の奥底にも
激しいマグマの塊のようなものはあると思うのです。
程度の差こそあれ。
それが全く出ないのが普通で苦しくもない人もいれば
シチュエーションによっては
マグマのように出る、出ざるを得ない、という人もいて、
そういう意味ではフィストの彼女は
後者だろうな、と思います。
感受性の豊かな人も激情の人ともいうだろうけれど
イコール喜怒哀楽がはっきりしている、ではないわけで。
私の場合は、というと
感受性を持て余し気味です。
ほんと、アートや何かにパワーを向けるには
感受性ってやつは不可欠だろうけど
日々の生活をつつがなく送るという意味では
ちょっと鈍いぐらいの方がラクチンですよね。
と、なんとなく歯切れの悪い文章ですが、
話を持っていきたい方向が実はあって。
私は、女性の同性愛のベースの多くに
幼少期における家庭環境や体験があると感じていて。
(もちろん、そうでない方もたくさんいらしゃいますが)
柔らかい物が好き、という時に
その逆は嫌いである場合、
それが嫌悪感から来ることもあるのではないかなぁと
ふと興味が出たのです。
ちなみに私の場合は
性と承認欲求が繋がってしまったので
性別関係なく求められることを希求するし、受け入れる。
その結果の現在があります。
ん~ 色気のない文章だなぁ(爆)
ちなみにわたしも
ルノワールは
この豊満さは奇形に近いのでは?と思うことがあります。
美的感覚は時代によって変わりますが、
食べるに事欠いた先史時代ならともかく
明治時代頃これって…みたいな。
だからといって、クラナッハみたいのはどうよ?とも。
けれど、現代美術のリアルな女性の姿は
戦い相手が写真になってしまっているし。
上村松園の描く女性ぐらいが良いですね、わたしは。
ま、あそこで見て欲しかったのは雰囲気ですね、雰囲気。
えぇと、sutekiに私書箱作りました。
2さん、おもしろそうな方なので
ここで書けないようなお話、
もしよかったらあちらで。
3735です。
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