りんさま、「2」です。
ご返事、ありがとうございました。
ルノワールの
『ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル』の
お二人の女性は、裸の状態を想像すると、わたしには
肉感的すぎます。(もっとも、それ以外のタイプの女性を
ルノワールは描きませんが。)りんさまのおしゃるように
先生の手が生徒の肩に伸びたら、という想像は
それ以降の展開を考えると、とても刺激的です。
再び「質感の柔らかさ」に戻ると、ルノワールの女性のようで
なくても、スリムなかたや肉感的でないかたにも「質感の柔らかさ」は
十分にありますし、わたしはどちらかというと、そういう質感の
柔らかさのほうに引き付けられます。
・・・
『2さんはかんびでいらっしゃるのかしら。』
わたしは「かんび」ではありません。
(わたしは、こういう専門用語が得意ではないのですが、
とりあえず、ここでは使います。)
りんさまには及びもつきませんが、男性経験もあります。
もともとビアン傾向があって、でも、男性とも、
そうしないといけないと感じて経験して、でも
結局、「質感のやわらかさ」の世界に戻ってきたという
のが流れです。だから、女性の部分に男性のものが
入ってくるときの感覚、凸で凹をふさがれる感覚も
場合によっては嫌いではありませんでした。
硬い身体の質感も、場合によっては悪くないとは思います。
でも、わたしの好きな「質感の柔らかさ」が溶け合う世界とは
別の世界です。
・・・
『でも、その半面
気性の激しい方や
怒髪天を衝くような怒り方をする人が
人並み以上に苦手、ということは
あるのでしょうか。』
人並み以上ではないかもしれませんが、
人並みに、苦手です。得意ではありません。
・・・
この『気性の激しい方や怒髪天を衝くような怒り方を
する人』ということですが、りんさまのお相手だった
二人の女性は気性が激しいというか、それぞれ激情的な
ところのあるかただったみたいですね。
りんさまに潮を吹かせずにはおかない、
りんさまのあそこに手を全部を入れてしまわないと
気が済まない(気持ちの底に、「中に入れていると、
どんな傷でも治るような気がする」という思いが
あったとしても)
そして、りんさまも、そういう激情型の思いを持ったお相手、
強く求めてくるお相手(だけ)には、防御壁が溶けるように
反応していく。ネコとしての資質が開いていく。
求めを全部受け入れ、開き、そして与える。
だから、『お尻の快感をご存知なかった方を
開眼させたことはおありですか?』の、対象に
りんさまを想定すると、次のようになります
(わたしの妄想では)。
あなたをお尻で逝かせたいの、あなたにお尻で
気持ちよくなって欲しいの、そうさせてほしいの。
お尻の気持ち良さをまだ知らないでしょう。教えてあげる。
ねえ、お尻で逝って。あなたをお尻で逝かせたい。
お尻の汚れが気になるのだったら、浣腸してあげる。
何回も浣腸してきれいにしてあげる。恥ずかしい?
でも、慣れたら浣腸も気持ちいいものよ。
中がきれいになったら、快感の波にためらいなく
乗っていけるわ。さあ、お尻をよく見せて。
きれいなanusだわ。舐めさせて。舌、入れるわね。
気持ちいい?動かないで、じっとしてて。今度は指よ。
ここ、気持ちいい?こっちはどう?クリットもいっしょに
舐めてほしい?どう、気持ちよくなってきた?
・・・
さきほど、お相手が『気性の激しい方や怒髪天を
衝くような怒り方をする人』だったようだと書きましたが、
これは、りんさまの性格の一部でもあるのでしょうか?
つまり、受け入れ、開き、与えるのだけれど、とても
気性の激しい部分をかかえたネコさんとしての、りんさま、
ということです。わたしがファンであるところの、「男性に
向けた歯切れのいい文体」を拝読すると、どうもそうなのかなと
思います。
でも、そういう気性の激しさを持ちながら、ネコさんとしての
りんさまが思い切って立ち場を換えて、逆の立場になって
みたときに、これはそのお相手(がタチということ)にもよる
のでしょうが、『はい、もう気が済んだ?みたいな。』ことを
言われて、その情景が、なんともかわいらしい。
では、また。
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