りんさま、「2」です。
鈴木大拙館@金沢ですか。
りんさまは、神出鬼没ですね。
『ここは、日本人よりも白人の訪れる人が多くて、』
そうですか。彼は英語の著作が多いし。
大拙の著作で好きなのは、「仏教の大意」。
・・・
『fistの彼女が・・・・
「中に入れていると、どんな傷でも治るような気がする」』
は、うーん、と、うなづくしかありません。すごい言葉だな、と。
・・・
いただいたふたつのご質問ですが、こちらに対しては
別のニュアンスの、うーん。
お答えするのがけっこうむつかしい質問です。
お尻の快感をまったく知らない人を、その快感に
開眼させたという経験はありません。
わたし自身が一定レベルの快感までしか知らないので、
ということもありますが、お尻に興味のある人は
お話ししているうちになんとなくわかるし、わたしも
それとなく聞くので。だから、まったく知らなかった人、
まったく興味のなかった人を目覚めさせたという経験はない、です。
でも、まったく自分の潜在資質に気づかない人を
そうしてみたいという願望はあり、妄想は抱きます。
あるものを媒介とした目覚めと啓発のプロセスに対する妄想。
・・・
お尻に興味のない人が、かつて、いたとして、でも
わたしは『なんのこだわりもなく』というのはなくて、
お尻を見てもいい? まあ、きれいなお尻、
さっきお風呂入ったから触ってもいいよね、舐めてもいい?
と尋ねて、そのひとのanusを見る、すぼまりを
舐めるというところまでのこだわりはあって、でも、
そこを見て舐めるのは、お尻の近所の敏感なところを
見て舐めるのと同じことだし、そのひともそう
感じていると思った(お尻に対して特別な拒否感
のあるかたの場合はそうじゃないのかもしれませんが)。
わたしは、女性の「質感の柔らかさ」が好きで、それが
気持ちの底にあって、わたしにとっては、それを
感じられる場所はみんな同質です。
触るのも触られるのもとても気持ちがいい。
そういう意味では、わたしにとっておっぱいに触れる、
背中を撫でる、クリットを舐める、お尻(ヒップとanus)を
撫でる、足の指を舐めることの間に差はありません。
(anusがとくに好きというのはあるとしても。)
お相手から、体だけでなく、言葉も雰囲気も含めて
「質感の柔らかさ」が感じられたら、けっこう幸せです。
(そういうお相手じゃないとダメともいえますが。)
だから、裸でなくても、手をつないだり、指をからませたり、
くっつきあって話しているだけでも幸せなときは幸せです。
お恥ずかしい話、それだけで湿ってきたりもします。だから、
『なんのわだかまりもなく』というのではないけれど、
そういう場合はお尻やanusへのわだかまりやこだわりは
希薄。お尻に興味がある人ではなかったので、それ以上は
求めなかった。
なんか、わかりにくくてすみません。
では、また。
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