こんにちわ!
今日は、鈴木大拙館行きました。
水鏡を見ていて、
ふと睡魔に襲われました。
気付きとは不思議なもので、
その一瞬の眠りの間に
新しい閃きや理解が訪れたりします。
ここは、日本人よりも白人の訪れる人が多くて、その上静謐で、不思議なところです。
そういえばfistの彼女が
濡れそぼった自分の手を見ながら
「中に入れていると、どんな傷でも治るような気がする」
と言ったことがありました。
ある意味、名言だと思います。
男性にとっての性は
女の私には測り知れませんが、
女性の性の多様性には
ため息の出る思いがします。
通常上記の彼女は
長年抑圧していた性欲の発露とばかりに
私を征服&独占することに執心し、
それを地で行くような生活をしていました。
けれど上に記した発言は
母胎回帰欲とも取れますし、
癒しとしての性の在り方とも思えたからです。
口が
食物を摂取し、
言葉を喋り、
呼吸をする役割を兼ね合わせて持つ器官であるように、
神様は性に
いろんな役割を持たせたのだなぁと感じます。
>文章には興味深い言葉が繰り返し現れます。
>「受容」「受け入れる」「開く」「です。
全く意識していませんでした @@
けれど、もしかするとそれは
逆説かもしれません。
相手を受容する以前に、
本当は
私自身が許容され
受け止められたいのかもしれないな、と。
代替行動の可能性もあるわけで、
その感覚が
依存心が根底にはないと断言出来もしないのですが、
give&takeなんて即物的な遣り取りではなくて
優しい気持ちのキャッチボールを
気の巡りや循環とでもいうような流れの中で
相互にしている感覚でいたいとは、
正直思うのです。
ちなみに「2」さんは、
私が自分のことをなーんも知らなかったのに
こんな一面があると知ったように、
お尻の快感をご存知なかった方を開眼させたことはおありですか?
もしくは
お相手が全くそれに興味がなくとも、
なんのわだかまりもなく
幸せに付き合い続けたことはお有りですか?
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