りんさま、「2」です。
「風信帖」の実物は東寺で心ゆくまでゆっくりと、
「聾瞽指帰」(漢字がこのサイトで出るかなあ)の実物は、
どこかの空海展で人に押されて、しかし、高野山では
独占状態でゆっくりと拝見しました。
どうでも、いいことですが、ここでは特殊な絵文字や
処理不能な文字は「暖」(あたたかい)という文字に
置き換わるみたいですね。
「アッカンベー「暖」手紙」がそうでした。
「聾瞽指帰」が「暖暖指帰」になりませんよう。
・・・
『では、私にとって何が違うかというと、
まず潮には色と匂いがありません。
限りなく無色透明です。
そして、普通の水よりも早く乾きます。
そして、勢いが半端ありません。』
この説明がいちばんわかる気がします。
フィストの説明も、とてもよくわかりました。
女性には赤ちゃんを産み出す骨と筋肉の柔軟性が
備わっているのだから、しかるべき環境と
心理的・肉体的条件がそろえばそうなれる。
りんさまは実際にそうなった。
それにしても、時間をかけてそこまでもっていった
お相手の執念、思い、執着はすごいです。
『「ふぃ、ふぃすとっていうのをしたいのですか?」
と聞いたら
「フィストってなんですか?」と。
全部、入れたい。
入るような気がする、と。』の、
「全部、入れたい。」という思いの凄さ。
わたしも、排泄物は、お相手のものも
自分のものも好きではありません。
どちらかというと嫌悪感の方が強い。
だから、これからという場合はきれい
(りんさま用語では清浄)になったと
感じられる程度に前もって自分できれいにします。
毎日、シャワー浣腸で中をきれいにしている女性も
いらっしゃるそうですが、わたしにはそこまでは
無理ですし、その必要もありません。
『若いころ
おじさまにお小水飲ませて欲しいって言われて
頑張りましたが、
緊張して、なかなか出ないものですもの。』
そういえば開高健の小説に、知的な若い女性の
おしっこを浴びる、おしっこを飲む場面が
たしかあったと思い出し、ページを繰ったらありました。
その一節。
『杯のふちに口をつけたら底まで
とことん飲み干さなきゃいけない。
バッチイだの、不潔だのなんてことは
ここにはない。
・・・
「立って、立って」
「たっぷりとございますわョ」
「まんべんなくふりかけてくれ」
「溺死なさらないよう」
・・・
淡い金色の飛沫がふりかかる。
あたたかいその滴が、
顔に、眼に、胸に、腹に落ちると、
その点、その点から膚がとろける。
不潔もなく、汚辱もない。
・・・』
りんさまは、結局、そのおじさまに、
緊張でなかなか出ないのを克服して、
おしっこを飲ませてあげたのでしょうか?
わたしの想像のなかでは、
『杯のふちに口をつけたら底まで
とことん飲み干さなきゃいけない。
バッチイだの、不潔だのなんてことは
ここにはない。』
という情景に落ち着きました。
りんさまの文章には興味深い言葉が繰り返し現れます。
「受容」「受け入れる」「開く」「です。
受容する、受け入れる、心を開く、気持ちを開く、体を開く。
肉体的に凸凹な関係のときに体を開くというのは
分かりやすいのですが、そういうのではなくて、
肉体的に凹凹な関係のときに、受け入れて体を開くこと。
そういう場合は、体を開くことと心を開くことが同義語で
りんさまは受容し、受け入れ、開き、相手を包み込み、
そして、溶け始める。
形而下のエロに形而上のエロが重なり、同居する。
ネコがネコを超える。そんな感じ。
りんさまは素敵なネコさんです。
(ネコとかタチとかはわたしの用語ではないのですが、
使いたくなりました。)
では、また。
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