2さんへ
なんか、交換日記のようになってきましたね。
今晩のBSプレミアムは
ライプツツィヒバッハ音楽祭の
ミサ曲を延々と流しています。
宗教音楽は、お声明もグレゴリオ聖歌も好きなので
今宵は良い夜更けです。
空海は、私にとっては
書と和歌の人なのですが
偈頌のリズム感と世界観、心地よいですね。
そして、早々にエロ話(笑)
2さんのお話を読みながら
ドミニク・アングルの「グランド・オベリスク」の、
あの滑らかな背中に続く臀部を思い出しました。
人それぞれなのだなぁ、と。
>わたしが希求するレベル、ここまで欲しいというところまでの
>A感覚の感度は残念ながらわたしにはないみたいです。
あぁ、なるほど。
なんとなくわかります。
そうですよね、
理想とする逝き方を目にしてしまうと
羨ましいですよね。
それに、
逝くのって、実は段階がたくさんあって
特に他者との性交で
本当に大逝きするのは、結構難しいですよね。
あ、飛べそう…と思う瞬間に
ほんのわずかなそれを邪魔する動きがあると
低くしか逝けない、とか。
でも、逝ったは逝ったなのだけれど…みたいな。
A感覚へのご丁寧な説明、ありがとうございました。
少し、理解できたように思います。
私には想像の世界でしかありませんが、淫靡で繊細ですね。
そして疑問に思っていた清浄のことも。
心配があると、気が削がれますよね。
私は、お潮を噴き上げてしまうのだろうなと思う前は、
万が一にもお小水の可能性があったら嫌!と
直前にトイレに行かせてもらってました。
同じようなものですね。
>お尻の好きなタチ傾向の女性がりんさまの前に現れると
>りんさまはA感覚の虜になる可能性が高い、ということですね。
そうですね。
その場にならないとわかりませんが、
可能性は高いかもしれません。
私は、自分に
同性で愛し合う素養があるとは
意識せずに
40代も半ば頃まで過ごして来たのです。
数こそ挙げませんが
男性経験は内容的にも普通以上にあり、
いろんな意味で、レンジも狭くはないとも思います。
膣の中で果てた後、そのまま中で回復するようなタフな人が相手の時は、
4~5時間延々と性交したこともありました。
もっとも、女性同士では長丁場は当たり前のことですが。
そんなふうだったので、
同性同士のきっかけは
自発的にではありません。
当時の唯一の親密な友達が仕掛けてきたので、
それに呼応するように開いてゆきました。
おそらく、私の場合は
性交においての基本スタンスが
惜しみなく与える、というところにあるのだと思います。
自身が派手な快感を得ていたとしても。
それが癒しを求める性交だとしても。
同性においても、そうなのだと思います。
だから、驚いたのです。
自分の体のことを知らなかったことと、
同性同士の性愛の深さに。
以前は、女性が潮を高々と噴き上げるのは
AVの中で何か作為があって
スイッチを入れたら水が噴き上げているのだと思っていました。
けれど、噴かせることが大好きな女性の手にかかったら
私の体はまるで
出口に圧力をかけたホースのような勢いで
何度も、何十回も、潮を噴き上げていました。
今でも、あれは自分に起こったことだったのだろうか、と
半分夢の中のことのように思います。
フィストだってそうです。
ゆっくり丁寧なsexをすれば
牛乳瓶のようなペニスだって
女性は受け入れることができます。
痛がる女性は、
肉体的かつ精神的な問題もあるのかもしれませんが、
女性の体が完全に開く前に受け入れようとするから、痛がられるのです。
でもまさか
丁寧に丁寧に毎日何時間も愛撫されたからといって
その結果相手の望むように手首まで飲み込めるとは
想像すらしたことはありませんでした。
そして自分がそのようになってみて
はじめて
フィストファックに対する世の中の情報が
いかに間違っているか、わかった次第です。
そろそろ眠ります。
ではでは
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