りんさま、また「2」です。
稲垣足穂(いながき たるほ)という、大正・昭和の男性作家のエッセイに「A感覚とV感覚」というのがあります。彼の本はむつかしいので、そのエッセイが入った一冊しか持っていません。以前、お尻に興味を持ち始めた頃に買いました。そのなかに、りんさまの投稿に関係するような興味深い一節があったので、少し長くなりますが、引用してみます。りんさまが、続きを書き続ける刺激になるといいと思います。
『凸起などは男性の不幸の象徴ですわ。しかし男性同性愛にくらべて、女性間のそれは、その基礎が軽接触的だと云うことは云えそうです。女性同志の同性愛って・・・そうですね、興味はK感覚(クリトリス)の完全な愛撫という点です。ここから女性特有の世界が展かれ得るかと思います。Vの原始的な荒々しさにくらべて、Kは繊細、複雑で、これは見失われた少女期への郷愁につながるものです。したがって、同じ感覚を持っている女性の愛撫がおそらく完全な目的をとげるのでしょうね。Vとの錯綜を希むなら、すでにその方法については十分に知られているわけですから。
同性愛で問題となり得るのは、同感覚のダブルになるという事ですね。異性的合致は、相手の感覚にたいする盲目感を残します。これにはどんな注意深さも役に立たないでしょう。それにくらべると、同性愛の方は、はるかに同情的、共鳴的な悩ましさになる・・・事は精神的興味に移るわけです。同性感覚の重複する、更に妖しい世界として何事かが展けてくるわけです。』
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