※ここからは所謂 汚い系、スカトロの内容を含みます。不快に思われる方はご遠慮いただいた方がいいかと存じます。
実にお恥ずかしい話なのですが、私自身は子供の頃から自分のチンポを触ったりオナニーした後の手の臭いに何故か興奮する癖がありました。
皮が剥ける前はションベン臭い手のにおい。
剥けてからはあのチンカスの匂いです。
何故だかはわかりませんが、オナニーしながらその指のにおいを自分で嗅いではさらに興奮するというタチです。
そしてその癖は自分の秘密の肛門いじりにもありました。
小学生が剥けてもいないシシトウのようなチンコをいじりながら、お尻の穴を触ってはその指についた自分の恥ずかしくて懐かしいようなニオイを嗅ぎながら興奮してたのです。
これが自分へのナルシズムなのか、生来のM性なのか、はたまた妄想のM女になっているのかわかりませんが。
そして女兄弟のいない私は、銭湯などで見かけるくっきりとした割れ目の女児の局部を生まれた時にお医者さんにチンチンを切り取られた跡だと思ってました。
なので子供が産まれるのは女の人のお尻の穴で、そしていつも大人たちがひた隠しにしてるエッチな何かは、もしかしたらお尻の穴とチンチンをくっつける事とか関係あるんだと思い込んで、そんな妄想しながら夜な夜な秘密のチンコいじりをしていました。
そしてその思い込みはさらに、チンコはオシッコして触ると気持ちいいところで、お尻の穴自体がエッチな事に関係する秘密の穴だと思ってたりもしました。
男女の別なく存在するエッチな場所としてのお尻の穴。だから自分でもこっそり触りたいし、できたら人に見られたいし、それも無理矢理見られたり触られたいという子供ながら不思議な妄想。
またある時、近所で幼い女の子が我慢出来なくなったのか、外でしゃがみ込んで排便してるのを目撃した事もあるのです。後ろ向いて座ってる桃のようなお尻の割れ目から太い大便がニュルニュル出てる光景。
性の仕組みがわかってない小学生の自分には、その排便の光景がとてつもなくエロく映り、女の子の排便が見たい、そして何故か自分のその姿も誰かに見られたい、それもなかば強制されて。或いは女の子と向かい合って互いにしてみたい、さらにはそれを混ぜてみたい、、、、
何故そんな妄想をして興奮するようななったのかはわかりません。
しかしその秘めた人に言えない欲望は、年月を経て少し形を変えてより具体的にですが、恥ずかしながら還暦過ぎたオヤジの今でもあるのです。
そしてそのうちSM本を見るような年齢になると、それが自分だけの独特な妄想ではない事に気がついてきました。
薄暗い部屋で赤い紐で縛られた哀れな女性がまたがるオマルの横に置かれたガラスの浣腸器、、、。
羞恥に観念したような表情。
当時はビニ本さえなかったので淫毛など当然に御法度のゆるい映像ですから、その浣腸の画像も、今の時代と比べると、イメージを膨らませるだけで生々しさはなかったのです。
だからこそ、リアルな嫌悪感などなく、肛門や浣腸や排泄ポーズに淫な憧れを抱いて妄想してオナニーしていたのかもしれません。
自分にも淫毛が生え、オナニーで精通したころには、性の情報も堰を切ったかのように流れ込んできました。
オメコ、フェラチオ、アナルセックス、ホモ、SM、バイブ、鞭、ローソク、そして浣腸、、、。
いろんな刺激が襲って来ましたが、三つ子の魂何とやらなのか、私の興味と妄想は、何故か一貫して、肛門と排泄行為、そして生々しいいやらしい性臭と体臭、
そして他人に強制的に、見られたり嗅がれたり飲ませられたり、そして哀れな姿でそれを相手に乞う行為なのでした。
相変わらず釘付けになって自分を投影するグラビアのシーンは、浣腸に耐えるM女だったり、女王様に哀れに顔面騎乗で踏まれてるM男だったり、或いはホモ雑誌で縛られて肛門に蝋燭や張り型を突き刺されてる男性だったりでした。
夜な夜なそんな妄想が入り混じって襲ってきて、風呂入ってる時に、空いたシャンプーボトルにお湯を入れて肛門に注入して、オナニーしながらタイルの上に汚物を排泄したり、自分の尿を顔に飛び散らして飲んでみたりエスカレートしていました。
特に家族がいないことがわかってる昼間などは、風呂場に篭りっきりで、茄子やきゅうりなど持ち込んで、人にはとても言えないドロドロの妄想の時間を過ごしていました。
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