3年前の私は趣味で女装をしている普通の会社員でした。
私が女装を始めたきっかけはストレス発散の為でした。
自分とは別の人格になることは、日常の「しがらみ」から精神を開放してくれて、しかも、それが別の性別となれば、その効果は絶大でした。
ただ、この趣味は市民権を得られているとは言えず、私は会社の同僚は勿論、家族にもこの趣味を内緒にしていました。
私は旅行用のキャリーバッグの中に、女装用の洋服やメイク道具を入れ、自家用車のトランクの中に隠していましたが、増え続ける洋服を隠す事が限界になっていました。
そんな時、会社の給与体系が見直され、技術職である私にも歩合給が支給されることになりました。
私は住宅の設計を生業としていましたが、人気のある設計者と、そうではない人との間に仕事量の差が生じていました。
女装を趣味としている私は、女性としての生活も経験していたので、設計の中に女性が喜ぶ細かい気遣いをしていました。
私と同じ部署には女性の設計者もいましたが、彼女たちの多くは結婚を機に退職していたので、経験が豊富で女性が喜ぶ気遣いができる私は重宝されていました。
そんな私に支払われるインセンティブは、給与の振込先とは違う口座に振り込まれるようになっていました。
通常のインセンティブは、月に1万円程度だったので、同じ部署の同僚たちは、家族に内緒の小遣い稼ぎをしていたので、私も同僚たちに倣って別口座を開設しましたが、抱えていっる案件数が最も多い私には、月に5〜10万円のインセンティブが支払われることになりました。
私はインセンティブで得た収入の全てを趣味につぎ込むようになりました。
金銭的な余裕の出来た私は、女装用品の保管場所としてトランクルームを借りるつもりでいましたが、同程度の賃料でワンルームマンションを借りられる地域があることを知りました。
その地域は付近にあった大学が移転したことにより、学生向けのマンションの家賃が値崩れを起こしていました。
私が契約したマンションは築20年で、自宅と会社の中間に位置し、入居審査が緩く敷金や礼金も不要でした。
1Kの間取りの部屋は、決して広くはありませんでしたが、女装用品を保管するには充分な広さで、ユニットバスや洗濯機置き場もありました。
家族に内緒で女装をしていた私にとって、変身場所や洗濯もネックだったので、それらの問題も女装部屋が一気に解消してくれました。
女装の為の秘密基地を手に入れた私の女装頻度は格段に高くなり、それに伴い、女装のレベルも上がって行き、本物の女性だと認識されるようになった私は、女性から道を尋ねられたり、男性からナンパをされるようになっていました。
私は第三者から「お姉さん」とか「彼女」と呼ばれることを嬉しく感じていて、いつしか、女としての人格が定着し、男性に抱かれてみたいと思うようになっていました。
夫としての私は、妻との人間関係は悪くありませんでしたが、男として妻に接することはなくなっていました。
また、妻の方も下の子が小学校に入学したタイミングで、ママ友に誘われてレジ打ちのパートを初めていて、パート代は妻が自由に使って良い事にしていたので、妻も自分の生活に満足している様子で、私には干渉しなくなっていました。
私は仕事終わりや週末を女性として過ごすようになり、メイクのテクニックも上達し、着ている洋服のセンスも変わっていきました。
性別を偽装している私にとって、年齢を偽装することは容易いことで、コスプレ用のリフトアップテープで皮膚の弛みを伸ばした私の顔は20代前半に見えました。
私のファッションは女子大生が好んで着るデザインの洋服が多くなり、女としてのお洒落を存分に楽しんでいました。
そんな私の女装生活は、絶頂期を迎えていましたが、女装部屋のマンションの治安に問題がありました。
入居審査が緩いマンションには、不法就労をしている外国人の入居者も多くいました。
彼らは男モードの私とは目も合わせませんでしたが、女モードの私に対しては、嬉しそうに聞き馴染みのない言語で話しかけてきました。
私には彼らが何を言っているのか分かりませんでしたが、声の抑揚で私をナンパしていることは間違いないようで、マンションの階段を上っている私のスカートの中を覗き込んで喜んでいました。
そして、あの日…。
私は、いつものように女装外出を楽しみ、21時過ぎに女装部屋のあるマンションに戻ってきました。
マンションの前には、東南アジア系の男たちがたむろしていて、私を見つけると、いつものように私をナンパしてきました。
恐らく、彼らは現地語で「一発やらせろ!」的なことを言っているようで、リーダー的な男が喋ると、子分たちが大声で笑っていました。
私は彼らを無視して自分の部屋のある3階に向かいましたが、男たちも私の後を追って階段を上ってきました。
私は怖くなり、足早に自分の部屋に逃げ込もうとしましたが、3階の奥にある私の部屋に通じる外廊下には、彼らの仲間と思われる外国人が立っていました。
私は外廊下に立っている男たちと、階段を上って来る男たちに挟まれていました。
私は階段の方に引き返し、男たちの横をすり抜けようとしましたが、男たちに拉致され、彼らの部屋に連れ込まれてしまいました。
声が女性化していない私は、緊急事態なのに、いつもの習性で声を出すことが出来ず、1Kの部屋の廊下に押し倒されると、複数の男に洋服を剥ぎ取られました。
私は必死に抵抗しましたが、リーダー的な男に無理やりキスをされ、物理的に声が出せない状態にされました。
私の口内には男の舌が挿入されていて、呼吸をする度に、鼻孔が強い香辛料の匂いで満たされました。
しかし、キスをしながら私の体を弄っていた男が突然、私を突き飛ばしました。
男は私の性別が男だと気付いたようで、仲間内で口論を始めました。
私は助かるかも知れないと思いましたが、口論を終えた男たちは私を乱暴に抱えると廊下の奥の部屋に押し込みました。
どうやら、男たちは私をレイプすることに決めたようで、私は仰向けの体勢で複数の男たちに体を押さえ付けられるとショーツを剥ぎ取られ、両足を開いた状態にされました。
私の目の前には、私にキスをしてきた男が立っていて、男はズボンと一緒に下着を脱ぐと、自分の唾液を私の肛門に塗り、勃起した陰茎を私の肛門に突き刺しました。
男は腰を振りながら嬉しそうに喋っていて、恐らく私とのセックスの感想を言っているようでした。
このレイプは、私にとって初めての男とのセックスでした。
しかし、私は拘束されている首や腕や脚からは痛みを感じましたが、肛門からは痛みを感じることはありませんでした。
男性とのセックスに興味を持った私は、その日の半年程前からアナル開発をしていました。
女装部屋のユニットバスでシャワー浣腸をした私は、肛門にローションを塗った指や器具を挿入するようになっていて、今では極太のディルドを挿入できるようになっていました。
ただ、アナル開発は難しく、私は「メス逝き」や「トコロテン」と呼ばれる絶頂を得られたことはなく、アナルオナニーをしていても気持ちいいと感じたことはありませんでした。
私をレイプしている男の陰茎は私のモノよりも小さく、アナル開発の初期に使っていたSサイズのディルドと同程度の大きさしかありませんでした。
しかも、本物の陰茎はシリコン製のディルドよりも表面が柔らかかったので、負担が少なく感じ、何よりも、自分が動かなくても良いことが、アナルオナニーよりも楽に感じさせていました。
私は銀行強盗が持っているピストルがモデルガンだと分かった時のような感覚になり、恐怖心がなくなっていきました。
心に余裕が出来た私は、アナルオナニーの時に練習していた肛門の筋肉の動きを試してみることにしました。
肛門の動きには、便を排泄する時の動きと肛門を締める時の動きの二種類があり、私は男の腰の動きに合わせて二種類の動きを交互にしてみました。
男が陰茎を押し込むタイミングで排便の動きをさせ、陰茎を引き抜くタイミングで肛門を締めると、男は短いうめき声を上げ、あっけなく私の中で果てました。
ほんの一分程でリーダーの男が果てたことで、騒いでいた男たちは静かになりました。
男たちは私と同様にアナルセックスの経験がなかったようで、膣には出来ない直腸の動きに驚いているようでした。
「ちょっと離して! 私としたいなら乱暴にしないで!」
私が日本語でそう言うと、男たちは私を開放してくれました。
男たちは私をセックスのプロだと勘違いしたようで、形勢が逆転していました。
男たちの中には、片言の日本語が話せる男もいて、私は男たち全員とセックスをする約束をしました。
私にとって本物のセックスは期待外れで、私はレイプされる恐怖よりも、服や体に香辛料の匂いがつくことが嫌になっていて、一刻も早くこの部屋から逃げ出したくなっていました。
自分の部屋に戻った私はシャワー浣腸をして、直腸内に残っていた精液を排出させると、いつもよりも入念に歯磨きをして、男のキスの感触を拭い去りました。
ユニットバスから出た私は「今夜はお客さんとの打合せで遅くなるから先に寝ていて」と妻にLINEを送りました。
そして、私がお気に入りのベビードールに着替えると、部屋のチャイムが鳴りました。
私がドアを開けると日本語を話せる男が立っていて、彼の手にはコンドームの箱が握られていました。
私が男の体の匂いを嗅ぐと、男からはボディソープの匂いがしていたので、男は私との約束を守り、シャワーを浴びてきたことが分かりました。
私が男たちとした約束は、事前にシャワーを浴びること以外に、セックスは一人一回、複数とキスとフェラチオはNG、そして、必ずコンドームを装着することでしたが、男たちは私との約束を守ってくれました。
それは、私とのセックスは無料で、これからも私の気が向いた時は、いつでもセックスが出来る条件にしていたからでした。
私は6人の男とセックスをしましたが、ローションをたっぷりと使っていたこともあり、痛みを感じることはありませんでした。
しかし、翌日になると私のお尻は筋肉痛になっていて、肛門には陰茎を挿入された時の感触が残っていました。
やはり、一晩で6人の男とセックスをしたことは良くなかったようでしたが、私は、お尻の筋肉痛や肛門に残った陰茎の感触が嫌だとは感じませんでした。
それどころか、私の男を見る目が変わっていて、昨日までは単なる同僚だった男性社員と接していても「この男は、どんな感じで私を抱くのだろう」と妄想し、下腹部が疼くようになっていました。
また、今までは普通に接していた上司に対して、私は女として嫌悪感を抱くようになり、自分の中に「好きな男」と「嫌いな男」がいることに気付きました。
私は男性をセックスの対象として見るようになっていました。
それまでの私は、ナンパをしてきた男を無視していましたが、好みの男に対しては笑顔で対応するようになっていて、それどころか、好みの男に対し、色目を使って誘うようになっていました。
私はマンションの外国人男性以外の男とも関係を持つようになっていて、相性が良い男が相手なら「メス逝き」も出来る体になっていました。
その後も私と外国人男性たちの関係は続きましたが、やはり、私は外国人男性たちの体臭が好きになれず、日本人の彼氏が出来ると、男たちには知られないようにマンションを引き払いました。
今の私は、新しいマンションで日本人の彼氏とセックス三昧の日々を送っていて、あれ程、嫌だったキスやフェラチオも好きになりました。
ただ、私は彼氏とのセックスで「メス逝き」をすることはありませんでした。
彼氏の見た目や声は私の好みでしたが、セックスの相性は良くありませんでした。
私は彼氏以外の男ともセックスをするようになり、相性が良い男たちと定期的に会い、存分にセックスの快楽に溺れました。
幸い、男性には女性の浮気を察知する能力がないようで、彼氏を含めた男たちは、私が自分以外の男に抱かれていることに気付いていませんでした。
そんな私も女性の人格になるまでは、妻の不倫に気付いていませんでしたが、今は「妻がいつ男に抱かれたのか」が手に取るように分かるようになっていました。
私は自分も似たような事をしていたので、妻の不倫を黙認していましたが、遊び半分で、妻の不倫相手を寝取ってみました。
今の私は、妻よりも女としてのセックスの経験が豊富で、妻の不倫相手は私の体を堪能し、私と「また会いたい」と言い出しました。
しかし、遊び半分でセックスをしていた私は、妻の不倫相手を妻に返してあげましたが、二人の関係は破局してしまいました。
それは、私が妻の不倫相手のうなじに、ワザとキスマークを残したことが原因のようでした。
不倫相手に浮気をされた妻は、酷く落ち込んでいて、家事や育児にも支障が出ていたので、これからは、妻の不倫相手には手を出さないように気を付けようと思っていますw。