私は、小さい頃から女の子に間違われてた。
産まれて小学校を卒業するまでほとんど従姉妹のお下がりを着せられてた。
そのせいで女の子に間違われてたのだけど
幼稚園の頃は、よっちゃんや何故かよしこって呼ばれてた。
小学生の頃は、家で圭子さんとか圭子ちゃんと呼ばれ
小学校では、名簿のハンコの名前を間違って作られたから
入学式では、女子の列に呼ばれて並ばされた。
その時のハンコが○○佳子
ハンコの作り直しされなくて学年が上がるたびに
担任も間違えるしまつ
入学式の服装もお下がりを着てたし
スカートで無いけど髪の毛の長さが
男子より長いでも女子だとショートヘアぐらい
下着は、女の子のだった。
兄がいたけど
兄のお下がりは、弟にまわされてた。
私には、従姉妹のお下がりが沢山ありましたから
従姉妹のお下がりは、私が学生してたあいだ
毎年春、夏、秋、冬と服が送られてた。
下着は、従姉妹の中学生までだった。
中学生の従姉妹のお下がりには、ブラや生理ショーツとか昔のシミーズなどや毛糸のパンツにタイツ
ストッキングもたまに混ざってた。
従姉妹の下着のお下がりが減る頃になると
母方の一番下の叔母の下着も混ざってた。
母も若い頃の服や下着を傷んでないのを大事に残してた。
そんなせいで中学生になり女装が私の普通の服装感覚だった。
私用の男の服や下着を買ってくれたが
着心地が悪くてほとんど女物下着を着てた。
男の服装は、学校に行くときだけ
下着は、女物胸が出てないからブラを着けてない
学校から帰ると制服を着替えると女物ついでにブラを着けてた。
女装を意識しだして
名前も佳子から恵子に変えたり美紀と変わり始めた。
同級生の女子の名前でいい名前と思うとその子の名前を使ってた。
使う名前も名字に合う名前
中学生の頃は、校則ギリギリ伸ばしてた。
ショートヘアの女子と同じくらいに
部活も直ぐに辞めて帰宅部
家に帰って女の子服に着替えると
母のお店の手伝いに行ってた。
スカート姿かワンピースを着て
靴も従姉妹や叔母の履けなくなった靴
兄と弟の足より小さくて23.0cmだった。
高校生になって少し大きくなったけど23.5cm
中学生になって生理ショーツやガードルなど穿いてたので
竿や玉は、押さえつけられて
玉は、恐怖で上がるように体の中に入ってしまいなかなか袋に玉を感じることがなくなり
竿も押さえつけられてたので
兄や弟と大きさが違ってた。
玉が体の中に隠れてたせいでホルモンバランスがおかしくなってた。
玉は、冷やさないとイケないのに
毛糸のパンツや体の中で温められてので
男性ホルモンがキチンと作られてなくて
元から少量の女性ホルモン量がまさって
中2ぐらいになる頃に
乳首が発育しだした。
ムダ毛は、なくて髪の毛の伸びる早さと
もともと色白だったのに同級生の女子より色白
身長も同級生の女子の低い子と同じくらいでとまってた。
声変わりしないから女声になってた。
兄や弟は、喉仏が出て低い男声になってたのに
肉付きも丸みを帯びて腰周りが大きくなって
それとなくウエストがくびれてた。
胸の発育と腰周りが大きくなって
お下がりスクール水着着るとナニも小さいので
女子と変わらなかった。
兄は、私を妹扱いしてたし
弟は、お姉ちゃんって呼んでた。
近似の小さい女の子達が家にお姉ちゃん遊ぼうって誘いにこられてた。
私も小さい子は、好きだから遊び相手をしてたし
年上のおねえさんに女の子の遊び教えられてたのを
年下の女の子に教えてあげてた。
女の子服を着てたから兄や弟は、私と遊ぶこともほとんどなかった。
男の子の遊びについていけなかった。
母のお店を手伝ってたから
お店が休みの時によく母に連れられて大きい屋敷に連れて行かれてた。
そこでは、母が大伯母さんに他の女性と一緒に
着物の着付け、生花、茶道、料理に薙刀を教えられてた。
小さい頃は、ただ近くで遊んでたけど
小学生の高学年になると一緒に教えられだしてた。
中学生では、着物を一人で着れてた。
元から女の子で産まれてたら中学から女子校に入れられてたと思う。
母方の叔母たちは、全員女子校
母は、高校までだったけど
下の叔母さんたちや従姉妹は、女子校に行き短大まで行ってた。
ある程度普通の成績だと試験もなく上にあがれてた。
中学や高校の同級生には、女装を知られてたのに
女装が私にとって普通だと言われたりしてた。
友達も男の子は、いなくて女友達だけだった。
陰毛が生えて伸びると小さいのが隠れてしまい
裸になってもM字開脚しないとわからなくなってた。
高校進学で戸籍の性別が私にとって苦痛に
同じ共学の高校進学を諦めた。
校則で男子は、ポウズ頭にしたくなくて
校則のうるさく無い高校を探したら
評判が悪くてしかも男子高しかみつからなかった。
取り敢えず長髪が許されてたのでそこに
私の成績でも上位になる高校でした。
入学して3ヶ月は、我慢して制服着てた。
それで制服じたいもまともな制服着てなかった。
ほとんど学ランに当時リーゼントやパンチパーマの不良ばかりだった。
気の弱い生徒は、決められた制服だけど
使い走りにされてた。
私は、女顔だし声変わりしてなかったから女声
先輩や同級生の彼女できないような人に目をつけられてしまいました。
たまたま同じ中学の同級生に部活選びしてるときに
いろいろ見て回ってたら
さっさとサッカー部に入部して人に
入部させられてしまった。
入部して着替える時に見つからないように着替えしてたのに
着てた下着を見られてしまった。
制服の下にブラやショーツを着けてたのを
三年生の先輩に下着姿にされて輪姦されてしまった。
その次に2年生の先輩にも輪姦されて
そして同級生にも輪姦されてしまった。
その次に部室が隣の野球部にも輪姦されて
部活で力をもってたサッカー部と野球部だったから
他の部活の人には、輪姦されることなかった。
そのうち野球部にも輪姦されなくしてくれた。
野球部は、監督が変わり甲子園目指す為に
悪い部員排除されてた。
私は、部員がいたときに試合の時に応援の女子にされてた。
先輩が女子制服仕入れてきて私に着せて応援させられた。
顧問がそんな私を見ても黙認するから
そのうちに先輩もいろんな高校の女子制服を持ってきて着せるから
一度教員室に呼ばれて他の先生達にも女生徒姿を見られてた。
イジメられてるのかって質問されて答えるのに困ってた。
制服着せられる前は、無理矢理輪姦されてたけど
制服着だしてから待遇も変わって輪姦されることなくなってた。
悪い高校の先生達も変わり者が多くて
私が女子制服着ての登校が許されてた。
それと成績も学年ベスト10いないだったのも
私よりアホが多かったのも
休み時間とか職員に呼ばれたりするようになり
もっと成績良くなるようにと単独授業されて
クラスの人より先に進んでた。
女装公認になってしまってた。
私にとって女装公認は、良かった。
不良校だから敵対する高校の不良に絡まれるのがなかった。
弱い生徒は、かもにされてたし
ケンカの強い生徒は、複数との乱闘で停学か退学に
私は、スケバンに絡まれたりしたけど
私より弱いから助かりました。
大伯母の薙刀とか教わってたのが役に立った
スケバンに友達ができて悪い影響も
レディースに入ることになってた。
それまで化粧は、母の口紅を塗るくらいだったけど
レディース特有の化粧を覚えるのと
眉もそれに合わせて細くしてしまった。
この頃の名前は、マリー
そしてまた暴走族のリダークラスに抱かれる羽目に
レディース同士だと勝てるけど
男相手だと体格差もあるし二人以上だと手足を押さえ付けられてズボズボにされてた。
ラッキーだったのが童貞だった彼が一番に抱いてくれたから
暴れる私に挿入したのがアナルとわかってなかった。
男性経験がある私は、挿入されて突かれるうちに
喘ぎ声だすのと腰を振ってた。
他のチームの子も彼氏ができてた。
それが族のヤクザになったOBに組の売春女に差し出されてしまった。
私は、変態に買われてた。
会員制クラブでも働かされたり
昼間は、通学することができてなんとか高校を卒業できた。
卒業アルバムには、私の写った写真なかった。
大学は、行きたいと思わなくて就職
組関係から離れる為に選んだ仕事は
公務員だけどたまたま高校に来てた地連を選んでた。
一度目の入隊検査で落ちてた。
私の容姿でホルモンバランスが狂ってるのがわかり
治療で足りない男性ホルモンを接種
卒業してホルモンが効いて少し良くなってた
体の全体が変わるまでいってなかったが
最終検査で足りない身長は、まだ成長期だから見込み入隊
入隊後に前期教育で地元を離れた。
入隊のために男物下着や服を買ってた。
それまで着てた女物は、実家に置いてきた。
前期教育が終わり後期教育は、また実家より離れた場所に
前期、後期の間 男性ホルモンを接種してた。
前期での体力検定は、ギリギリ合格
後期での体力検定は、一級が取れるのと
ギリギリ身長も合格ラインに
そして所属先に配置されると
次の教育で空挺教育隊に入校
その頃には、ホルモン値が正常になってたので
ホルモン接種が終了した。
筋肉は、まともに付いてなかった。
そばで見られたら胸がオッパイ
離れたとこから見たらなんとか胸板
腰は、まだ丸みが残ってて教官が安産タイプだとよく触られてた。
胸は、よくなんだこの胸と言いながら鷲掴みされて乳首をくりくりされて喘ぎ声がもれそうになってしまってた。
教育で同期は、マッチョになってたのに
私は、今ひとつでまだ女装しやすい体型のまま
それでも5回のパラシュート降下が終わり空挺隊員になった。
原隊に戻ると次の教育に
声質で通信手教育に入校
教育期間中に駐屯地の夏祭りで
男ばかりだから数人が女装させられた。
女装が似合うのが選ばれてた。
私以外は、化粧で女顔にできてたけど
体格と声で女装とわかるのに
私は、薄化粧とカツラ
そして用意されてた服や下着が大きい過ぎて
妻帯者の班長の奥さんのお古が間に合せで着せられた。
提供してくれた奥さんが驚いてた。
服は、9号のA ブラが70B ショーツがM
女装で出店を担当させられてた。
原隊に戻っても夏祭りに女装
次の年の夏祭りには、婦人自衛官の制服
地連の手伝いに駆り出されてた。
婦人自衛官の制服での階級は、最初2等陸曹
2回目だと3等陸尉と幹部に
先輩に敬礼されてた。
そんなせいで日曜下宿借りて外泊するようになると
下宿に行くと着替えて化粧して都内に遊びに行くようになり
新宿や上野などに行きまた抱かれたりしだしてた。
下宿は、同期と借りてた。
最初のうちは、一緒に泊まることもなかったけど
女装用品置いてるのを知られてた。
その日は、一人だと思ってた私
下宿に行き着替えてお出掛け
その日は、休暇前の買い物
衣類や靴に化粧品を買って下宿に戻ってた。
次の日の予定を考えてたら
突然ドアが開き同期が
少し酔ってた同期は、私を見て直ぐに抱きついてきた。
私は、同期を見て固まってしまった。
抵抗も出来ないまま同期のなすがままだった。
私の何処かにいつかと思ってたけど
キスから始まり胸、股間に手の刺激で
ほとんど感じてしまってた。
そして挿入されるともう私は、女になってた。
明け方まで何度も逝かされた。
私は、その時に初めて彼の女になれたと
そして休暇になり女装して彼の実家に行った。
彼のおねえさんやお母さんに挨拶してた。
彼と同じ部屋に泊まれると思ってたら
おねえさんの部屋に泊まることに
夕食で彼のお父さんに初めてあった。
でも跡取りの彼は、家を継ぐために退職
子供産めない私を捨てた。
私も3任期が済むと退職
実家に帰らず近くに就職したが
そこの社長が変態だった。
社長の好みと違ってたので襲われることもなかった。
私の両親が適齢期だから見合いをさせた。
結婚させて実家に戻ってこさすつもりだった。
問題ある私も相手も問題があるから
両家の思惑があい見合いさせて
私は、拒否することが出来ないけど
相手に断られると思ってた。
それが見合いが終わり話がまとまり
結納そして前撮りで残り2日泊まった。
その間は、下着も男物だった気持ち悪かった。
そして間を開けずに結婚式
そして新婚旅行に
旅行の私の荷物には、少しの女物下着を隠してた。
私の親が用意してた水着に着替えた私を見て
妻は、自分のカバンから予備に持ってきてた水着を私に渡して着替えてと
妻は、新しい水着を着てた。
私が着替えて妻の前に行くと
私の髪の毛をセットし直して女性らしくした。
そして軽く口紅を塗った。
新婚旅行でなく女同士の旅行になってしまった。
ホテルで安い服と下着を買って帰るまでこのままでいてと
私は、ラッキーと思うのと離婚だと思った。
帰りの飛行も女装
そして妻の実家にも
離婚理由を見せるためだと思ってたのに
妻の両親や義理妹の反応がおかしかった。
妻の父親と思ってたら義理母の愛人だった。
愛人を帰らすと
義理母と義理妹に見られてた。
私の問題がやっぱしとなってた。
そして義理母から妻の問題を教えられた。
妻は、既婚者と不倫してたのを別れさす為の結婚だと
妻には、私のナニの小さいから代わりの男に抱かれるからとも宣言されてた。
義理母は、妻や私と義理妹を並べて見てた。
顔の輪郭が似てるから
こうして見たら三姉妹に見えるわ
私は、義理母の顔を見てて母にも少し似てると思ってた。
そして義理母からのプレゼントを買いに連れて行かれて
私の服を3着と下着を買ってわたされた。
その中の一着を着て私の実家に
実家には、義理母から電話されてた。
私の両親は、驚きもしてなかった。
兄も弟も私が家にいたときと同じ状態だった。
私の父も変態で
その血を受け付いてる兄と弟
高校の時に父に抱かれ兄、弟の順に抱かれてた。
そして妻は、母や私のいる前で父に抱かれた。
妻にとって父が好みだった。
私と妻は、母のお店を手伝い出した。
私は、住んでたとこに残してた荷物を取りに行ったけど
父から戻って来なくてもいいと連絡がきた。
妻は、父に種付けされて孕んだ。
父の子供だけど私の妻との間の子供として産まれた。
私の両親の孫として
私の帰る場所は、無くなった。