続きです。中学生の時から妻やお母さん(義理母)と母の裸は、見慣れてしまってて兄達は、母と一緒にお風呂に入るの羨ましく思われてた。父は、帰りが遅いから母と一緒にお風呂に入ってるのを知らなかった。それより気にしてたのが私が若い女の子のパジャマやネグリジェなど着てるのを気にしてた。兄達と違い母の手伝いしてるのと晩酌の時に父の横に座りお酌などすると鼻の下を伸ばしたりしてた。妻や友達になってた女子との会話で胸が大きくなる方法とか聞いて実践して妻や女友達と同じ大きさの胸になる努力してた。そのかいがあったのかブラを着けてたからなのか気持ち出てきてた胸顔の手入れや体の手入れに励んでた。そのおかげで色白キープできてた。ブラを着けてると寄せた脂肪でまだ大きくない妻の胸と同じくらいにブラを外すとダメだけど高校に進みそんな私は、イジメの対象にされて中退してしまった。通学してる時には、男子制服着て男の子になってたけど中退してからは、とうとう男物を着なくなりしかも薄化粧までするようになってた。そんな私を受け入れてくれてた妻とお母さん(義理母)私の母は、腫れ物に触らないような状態になってた。家に居づらくて妻の家にいる事が多くなってた。妻は、学校に行っててお母さん(義理母)と二人でいる事が多くてまるで娘みたいになってたからお母さんも油断してて大人の女の魅力を見せつけられてた。家の鍵も渡されてて自由に家に入れるようになってた。入り浸りになってたけど用事で出掛けて戻ると見ては、いけないものを見てしまった。お母さん(義理母)がテレセをしてた。携帯から男の声が聞こえて来てお母さんに指示を出してた。私は、お母さんの裸を見てたけどアソコを見るのが初めてだった。お母さんは、男の指示に従って挿入してたバイブを動かしだした。お母さんの喘ぎ声が一段と大きくなりイクイクと言い出すと男がまだまだ一度バイブを抜けって指示してた。でも抜く時にお母さんは、逝ってしまった。それを見てて私のアレが初めて勃起してた。穿いてたショーツからはみ出してスカートにテントを張ってた。お母さんは、目を開けると私と視線があったけどその視線が下に下がり私のテントに釘付けになり抜けたバイブが横で動く音がしてた。固まってた私ににじりよりお母さんにスカートを捲られて勃起してるのを見られてしまった。私は、固まってたからお母さんにショーツを降ろされるとそのままお母さんの口の中に吸い込まれてた。舌の動きの気持ちよさで初めての射精溢さず全て飲み干されてた。それでも勃起したままだったからお母さんに押し倒されて馬乗りになりお母さんのオマンコに食べられてしまった。中は、気持ちいい暖かさでお母さんが動くとまた気持ちよくなっていき頭が白くなるの同時に二度目の射精をお母さんの中に出してた。お母さんも逝ったのか私に被さってきてキスされてた。私に女に挿入する気持ち良さを教えられてた。欲求不満解消に使われるようになり体に変化が出てきてたそれが嫌でホルモンを飲みだしてしまった。別の日に学校から帰って来た妻と話してて彼氏作らないのって話題になり妻は、私の知らないとこで男を経験してた。妻にとって私は、同性と見られてた。私は、お母さんに童貞を奪われて挿入する良さも覚えて何気なく妻にキスお母さんに教えられたキスを妻にしてた。抵抗もしない妻にキスしながら手は、胸を揉んだりしてそのうちに下に下がりアソコを触るともう濡れていた。妻を裸にしてまだあまり使われてないアソコお母さんとまた違うオマンコに勃起して妻は、私の勃起を初めて見て驚いてたけど抵抗もしないまま足を開き私を受け入れてた。妻と男と女の関係になってた。昼間妻のいない時にお母さんに跨がられて逝かされそんな時にお父さん(義理父)が帰って来て見られてしまった。ほとんどお母さんに責められてる状態だったからお母さんは、お父さんにお仕置きされるのと私にもお仕置きと言ってアナルを指を入れられてアナルがまだ処女なのを確認されてアナル開発されてお父さんにアナル処女を奪われた。妻に内緒でお父さんとお母さんに抱かれるようになり女性化も進み出してた。二十歳を過ぎて成人式では、妻と私振り袖を着てた。その頃には、実家に帰らなくなってた。
...省略されました。