ヒロさん普通だとあり得ませんよ。でも両親は、兄の次に産まれるのが娘と思い込んでたのと父の家系は、男ばかりで娘が欲しい欲望を持ってました。母の家系は、女です。長男を産んで跡取りができて次に生む子供が娘を産みたいと思ってたらお腹が目立つようになっていく過程で回りの人から顔つきが長男の時と違い優しい顔つきになってるのと助産婦さんの経験からお腹の張り具合が女の子だと言われてたそうです。そのために両親の希望の娘が生まれてくると思い込み名前も娘の名前は、早くから決めてました。娘のために貧しいのに買い揃えるのと母の実家からたくさんの女物を貰って来るのと母の姉の姪のお下がりと揃えてたんです。小さい兄にも妹が産まれると言ってたそうです。それが男の子の私が生まれて慌てて準備されてた出産届けの名前に書かれてた名前の子を消して生まれた翌日に届けたそうです。揃えた品物が無駄にならないように小さいうちは、使うことになりました。特に母が落ち込みが激しく父が見かねてと言ういきさつもありました。母の精神も安定してくれたので親類も母のことを思って私を娘として見てくれてました。そして母は、直ぐに弟を身籠りました。弟が生まれて兄のお下がりが私に回らずに弟に行ってしまい私は、従姉のお下がりをそのまま着せられてました。兄は、私を妹と思ってたし弟も私をお姉ちゃんと呼んでました。それでも私が小学生になるときに父は、普通に戻さないといけないと母を説得して私のための男物を着せ出しました。でも私が男の子でいると優しい子供だったのに活発になるのは、いいんですが危険な遊びや狂暴な性格が出てきました。兄が友達とケンカしてるのを止めるためにバットを振り回して兄やケンカしてた友達をバットで叩いたり窓ガラスを割ったりと手におえない子供になりました。そんなときに私が同級生の友達と危険な遊びをしていて商店街のアーケーイドに登り家の屋根に飛び移りと遊んでて最後に降りてくるときに着地に失敗して片足を骨折しました。私は、その時捻挫と思い込んでいて二キロの距離を歩いてかえりました。家に帰って捻挫したと母に言って接骨院に連れて行ってもらい足を見せたらもう二倍くらいに腫れてました。そこで治療されて湿布を貼った後固定するための添え木を包帯で巻かれて固定されました。家に帰り着替えをしようとしたら履いてたズボンが脱げないのでハサミでズボンとパンツを切りました。代えも穿けないからとパンツは、従姉のお下がりがも穿けないから母のだと大きすぎるからと母の一番したの妹の叔母のお古が履かされてました。その頃では、一番新しいレースがされた可愛いパンツと言うよりショーツでした。伸縮性にとんでいてガチリ固定された足も通るくらいの伸びて私の体にもフィットしました。ズボンは、諦めてスカートを履かされました。数が月ぶりに私は、女の子の服装になりました。私は、兄と弟と違いバリカンでの刈り上げをされて無かったから兄弟でも私は、母に似てたので顔だけでも男の子の服を着てても女の子に見られてたからスカートでいても普通に見られてました。私は、足が治るまで小学校にスカートで通学しました。幼稚園の頃から知ってる子は、平気でしたが知らない男子は、私をオチョクリました。大抵が私がイジメてた男子ですけどこの気に私にイジメ返すつもりでしたが逆に他の生徒や先生に怒られて私のイジメも無くなりました。それと私も大人しくなってました。危険な遊びもしなくなりました。足が治って男の子の服装に戻ると気の荒いとこが出て来ます。家では、私に女物を着せたりして試して私には、またお下がりを着せるようになりました。学校にもなるべく従姉おお下がりのズボンなどを履かされて行くようになりました。それで洗濯が間に合わないとスカートで通学しました。先生や同級生は、前の免疫があり私の女装が問題にもなりませんでした。私の担任になる先生は、女の先生でしたから私が男の子の服装時は、いつも怒られることをしてるのが女装してる時は、クラスの中でも一番優しくなり人の世話や面倒を見るいい子になるので朝私の服装を見てニコニコしてくれてました。学年が上がっていくに私自身でも私が服装で性格が変わるのを自覚するようになってました。
...省略されました。