大学1年で、40代のバツイチ熟女で童貞卒業、2年生が終わるまで、熟女の愛人してた。
でも、その熟女、子供の進学関係で元夫と復縁することになり、関係を解消した。
3年になって、付き合える女がいないかなーと思ったら、仲の良かった裕司に告られた。
最初は何言ってるんだと思ったが、裕司、本気で俺のことを好きだった。
裕司は、俺を想ってオナニーしてると言ったんだが、そのオナニーってのが男が普通するオナニーじゃなく、ディルドをアナルに突っ込むアナニーだった。
俺を見つめて、
「ケツマンコの処女、貰ってくれ…」
と言われた。
一緒に風呂に入って、ベッドで抱き合った。
キスされて、男同士で舌を絡めたら、なんだか裕司が愛しく感じた。
フェラされて、ローション塗られて、ケツマンコを掘った。
男同士のセックス、愛が芽生えた瞬間だった。
あれは、半年くらい過ぎたときのこと、俺にケツマンコ掘られてアンアン喘いでた裕司が、フル勃起してないペニクリから、タラタラとs期待を漏らした。
ペニクリには何もしてないのに、透明な液体を出した。
これが話に聞くトコロテンかと、驚かされた。
恥ずかしいトコロテンしたら、裕司、だんだんマゾっぽくなっていった。
裕司は、アナルを犯されながら、ペニクリも苛められたいと言った。
「お前、精液お漏らしするから、栓してやるよ。」
と言って、万年筆のインクカートリッジ、長さ5㎝で、太さ5㎜暗いのを尿道にズブリ、そしたら裕司、ヨガり始めちゃった。
裕司の尿道にそのカートリッジを入れて指を話すと押されて出てくるから、出てはおシテを繰り返すと、尿道ピストンになって、裕司、アンアン喘いだ。
裕司は尿道も感じると知って、アダルトショップで、長さ20㎝で太さ6㎜の少しウネウネした金属製の尿道ブジーを買ってきて、ケツマンコ掘りながら、尿道を犯した。
裕司、狂ったようにヨガりまくり、ブジーが刺さったままトコロテンした。
「裕司、お前、ケツマンコだけでなく、尿道マンコにもなってるねえ・・・」
「ああ~~ケツマンコと尿道マンコの二穴責め、効くぅぅぅぅぅ・・・」
と言いながら、裕司、白目剥いて、メスイキしやがった。
一度、そんな変態マゾをみんなに見てもらおうと、ハプバーに行って、裕司のケツマンコと尿道マンコの二穴責めを披露した。
たくさんの人が好奇の目を向けた。
単に男同士で愛し合うようsに驚く者、尿道責めを驚愕の表情で見る物、二穴責めでトコロテンに驚く者と、様々な反応があった。
でも、知らない男が裕司とやりたがって、裕司が怖がっちゃったから、二度とハプバーに行くことはなかった。
そんな裕司とも卒業でお別れ。
最後の二穴責めで、最後の精液を裕司のケツマンコに、
「裕司、最後の種付けだ…」
と言って、ドクドクと出した。
「これ持って行けよ…」
と裕司に尿道ブジーをあげた。
「お前との思い出に、もらっていくよ。お前を思い出して、自分でしてみる。じゃあな。」
「ああ、元気でな。さよなら…」
「さよなら…」
俺の部屋を出て行く裕司を見送った。
途中で振り返り、大きく手を振る裕司に、俺も手を振った。
俺も帰郷し、地元に就職、そこで、東京では見かけないような牧歌的なお嬢さんと知り合い、初めて処女膜突貫を経験し、俺26歳、嫁23歳で結婚した。
今年で結婚して8年、二児に恵まれ、そこそこ幸せな暮らしをしてる。
素直で可愛い嫁を毎晩抱いて、時々、裕司を思い出してた。
そんな昨年末、実家に喪中はがきが届いてた。
裕司、免疫不全で亡くなってた…
喪主は父親だったから、裕司はまだ独身のようだった。
考えられるのは、裕司は男と付き合い続けて、そういう病気になったんだと思う。
卒業してから、3年くらいは年賀状のやり取りしてたが、俺の祖父が亡くなって喪中はがきを出した年から、年賀状も途絶えてた。
俺は結婚報告を裕司にしてないから、今の住所を知らないので、裕司の家族が、裕司のパソコンにあった、年賀状を出してたであろうアドレスデータ全てに喪中はがきを送ったのだろう。
「裕司…お前…」
お絵は、裕司の実家がある邦楽の空を眺めた。
そしたら、それに裕司が手を振って去っていった最後の姿が蘇った。