平和な時代でありながら現代でも拷問が実際に行われているのは軍隊だ。
志願して軍人になる男の中には(軍人の家系を除くと)公に他人の拷問したい、または殺したい欲望を抱いている輩が大勢いる(銃器オタクを除く)
しかし軍隊にはいれたからと言ってその欲求を満たすことのできる輩はほんの少数に過ぎない。あとの大多数の輩ら欲求を満たすことができずに悶々と過ごすことになる。実戦で戦う兵士が欲求不満では多大な支障が出るのは当然であった。
そのため軍上層部が考えたのは公合法的に拷問できる倶楽部の創設だった。あくまでプレーとしての拷問であって人殺しを奨励している訳ではないので明らかに致命傷となることが分かっている行為は禁止である。しかしそれは建前であって拷問した結果被験者が死んだとしても責任を問われない。被験者となる男は本土であれば囚人や密入国者などいくらでも手に入るのだが日本ではそうはいかない。
僕がKさんに連れていかれたのは日本本土の米軍の施設にあるGAY倶楽部だった。GAYの集まる倶楽部なので当然被験者は男である。
その倶楽部の見学と言う理由で訪れたのだが実際はKさんにGAY倶楽部と称している拷問倶楽部に生贄として売られてしまったのだ。華奢でナヨナヨしている日本人の男はGAYでドSで外見も性格も野獣のような米兵に人気がある。
そして本物拷問なので生贄にされる男は長くは使えない。
人気があるのだが調達の難しい日本人の生贄男は高い値で引き取ってくれる。
僕のプロフはすぐに登録(人気のある日本人を拷問したい兵士は自らを登録しなければならないシステムだ)している米兵のスマホにメール等で送られた。
できるだけ多くの加虐性向の米兵楽しんでもらうために日本人奴隷男の体と心に過度の負担が残らない程度の拷問ショーが催されるのだ。
これを「お披露目会」と呼んでいる。
僕はドSでGAYの米兵たちに気に入られたらしく予想以上の応募が殺到してしまったらしい。
お披露目会は僕が壊れないように休息日を入れ一日おきに三回開催されることになった。
一回に抽選で一回に10人が招待される。
(もちろんそんなことは後になって知らされたことで売られたばかりの僕が知るはずはなかった)
Kさんに売られた後僕は軍の施設の中に監禁されていた。
そこは窓も鉄格子もない完全密閉された部屋で簡易トイレと粗末なベッドだけがあった。
一日三回の食事がドアの小さな扉から差し込まれてきた。
そして三日目の夕方になって初めてその部屋から出された。
いきなりドアが開けられゴリラのような凶暴な身体をした兵士が二人入ってきて僕を拘束した。
彼らと比べればまるで子供のような体躯の僕に抗う術はなかった。
後ろ手錠を掛けられ両脚にも鎖で繋がれた足枷が嵌められた。
口いっぱいの大きなボールギャグを押し込まれアイマスクを装着された上から布製の頭巾を被せられた。
部屋から出されても目も見えず口もきけない僕は助けも呼べないのだった。
僕は屈強な二人の兵士にGAY倶楽部と公には言われている拷問倶楽部に連れていかれたのだった。
その日から僕の地獄の日々が始まった。