僕はこうして先生に13歳でゲイの奴隷にされましたが、プレイの場所はもっぱら学校の理科準備室で、時間も放課後の2時間くらいと限られていた。
先生のマンションに伺う理由もなかった。ただ、学校ではリスクが先生には高すぎたようで、あまり過激な事は
しなかった。中学2年になり2クラスしかない僕らの学年の僕のクラスの担当にこの理科の先生が担当教師になった。
僕は成績はまあまあで学年でも5番程度で、県庁所在地の進学校公立校に入る程度かなと言う感じだった。
夏休み前の家庭訪問で先生が「周一君は能力あるのに勉強のやり方が間違っている。特別に教えてあげるから私の所に通って来なさい」
と提案してきた。無論両親は大賛成だ。これで大手を振って先生の部屋に通える。夏休みはこうして毎日先生の部屋に通う事になった。
但し、先生は勉強はきっちりと教えてくれた。その後がお楽しみの時間だった。僕は自宅で事前に渡されていた浣腸器具でお尻を清潔にしてゆく。
そして先生は僕にシャワーを使わせ、陰毛から尻毛、体毛迄奇麗に剃りあげた。
元々僕は体毛は薄い方だったが、それこそツルツルにさせられた。尻栓・猿轡・首輪・
を装着され、革紐で腕・足首を縛られた。乳首クリップで刺激される事もあり、
お尻やチンコ・太腿を革紐でスパンキングされた。そのまま部屋中を引き回されたり、お風呂で
先生の小便を顔に「口を開けろ!」と言われてかけられたりした。一番応えたのは、
そして気持ち良かったのは「アナルビ-ズ」だった。抜く度に悲鳴に近い声を上げたが、同時にきもちよかった。
其の後先生にタップリとチンコを挿入いじめてもらって中に出してもらうのが最高だった。最初の頃は突かれ
ながら背後から僕のチンコをしごいてもらい同時にトコロテンしてもらっていたが、
夏休み終わり頃にはとうとう「メス逝き」状態になった。トロトロと精液が出続けていつまでもきもちよかった。お尻に出された後も先生の精液がお尻の穴からトロリ
と流れ出る感じがたまらなかった。また、僕から抜いた射精したばかりの先生のチンコを僕のお口と舌で奇麗に拭って掃除してあげる作業もすきだった。
先生は満足そうにそんな僕を上から見下していた。
ある日先生は僕に「ちょっと化粧してみるか」と言って僕を座らせ、用意していたコスメグッズで僕の化粧をはじめた。
「ウン、やっぱかわいいね!」
「誰かに似ている?誰だろう?」
「…モデルの森星って言うの?森泉の妹あれに似てるよお前・・・そっくり!」
「そおですか?・・・」
先生は僕に一人で頷いて興奮していた。
確かに僕はよくハ-フ系ですか?と言われる事はあった。小学時代母の化粧品を盗んで使い、姿見の前で裸になってオナニしたこともあった。
ナルシスと被虐性を持ち合わせたゲイが僕の本性なのかなって初めて其の時思い始めた時だった。
虐められ,凌辱されている自分を想像するだけで興奮を覚えた。
「先生もっと虐めてください・・・」
「先生の好きにして下さい。お願いします!」」
そお懇願する14歳の変態少年に成り下がっていた。
そんな僕を先生は容赦なく縛り上げ鞭で打ち据え、蝋燭で身もだえさせ、小便と精液まみれで凌辱し、
自分のまだ精液の滴り落ちているチンコをお口で掃除させるのだった。
最後に全てを開放して、僕を優しく抱き締めまだ精液の残っている僕の口にdeep kissをするのが、お決まりだった。
こうして僕は中二夏休み14歳でMのゲイの道にハマってしまった。
僕の人生はこの理科の先生によって大きく曲がってしまったが、よく考えてみると、もともと自分の本性を見抜いて引き出してくれただけなのかもしれない。
高卒後上京して、ネット社会になって相手探しに困らなくなってしまったけど、二十歳頃は新宿でウリセンもやった。忙しい時は一晩で7人くらいと相手したけど
結構楽しくおもしろかった。30前になって流石にやめたけど、それでも男漁りは止まらない・・・
困った本性です・・・