読んでいて興奮する内容でした。職場のアイドル的存在ですね。主任の女としての生活が想像できます。次は去勢からの女性ホルモン注射するのかな?とにかく興奮する内容をありがとう
レスありがとう。この先の話も書き込んでみる。ところが、長年アナルを犯され続けてると、次第に射精の勢いが衰えてきた。ダラダラと漏れるような出方になり、精液を飛ばせなくなった。そして、どれだけ掘られても勃起しなくなり、ダランと弛緩したチンポから精液をダラダラ垂れ流すようになってしまった。その代わり、精液をダラダラ垂れ流してる間は、ずっとあの射精の快感が続くようになった。だから、ヒイヒイとえげつないヨガる狂い状態になって、イキ狂いだった。更に、射精せずに射精がずっと続くドライオーガズムにたどり着くのだ。これは、女性がイクのと同じで、仰け反って痙攣しながらイカされて、それをメスイキという。そこまで行くと、完全にアナル牝化は完了、もう、元の雄の身体には戻らない。勃起するには扱くしかなく、射精するにも扱くしかない、アナルで射精は無理になった。ひたすら男に抱かれてメスイキしたい一心で、股を開くようになる。最高、1日10人に輪姦された時は、あまりにイカされ続けて、白目剥いた。これ以上、ここに居たら、イキ死にしてしまうと思った。俺は主任に相談した。主任は、俺を連れて会社を去ることを決意した。そして、主任と二人で、主任の実家の家業を継いだ。俺、30歳、主任38歳の時だった。そこは、建設とは全く異業種だったが、毎日主任にだけ愛される幸せな日々だった。そんな幸せな日々は5年で終わった。主任にお見合い話が来たのだ。種なしの主任の実家に、連れ子がいるバツイチ女性との縁談が舞い込んだのだ。主任のご両親は大喜び、俺は、帰郷を決意した。密かに荷造りを終え、主任にお別れの手紙を残し、どうかお幸せにと手紙を締めて、彼の地を後にした。実家には、戻る旨を話し、荷物を送った。主任には黙って、主任の家の方角を向いて、お別れを言った。最後にもう一度抱かれたかったけど、それをすれば別れ難くなるのが分かってるから、前日、いつもと同じように仕事場を離れ、翌朝旅立った。アパートの玄関を閉じ、主任宛ての手紙をドアに張り付けて、車を出した。途中、出勤しない俺を心配した主任からのメールが鳴り響いた。俺は無視した。暫く静かだったが、今度は電話が来た。きっと、手紙を呼んだんだと思う。電話には出なかった。その後、一度メールが来て、それ以降は鳴らなかった。「俺の男としての幸せを祈って、身を引いたんだな。わかったよ。お前が望む俺の幸せなら、彼女と生きてみるよ。さよなら。そしてありがとう。」俺は、携帯電話を胸に抱いて、泣いた…故郷を捨てて13年ぶりに帰郷した。故郷では、仲の良かった従姉が出戻りで子連れで戻ってて、俺の姿を見て、泣きながら抱きついてきた。「今までどこに行ってたのよ。バカッ。バカーーッ!」俺は、みんなに愛されていたことを知った。そして、今まで独身でいた理由を、みんなに話した。もちろん、主任の話やメスイキの話はしなかった。俺は今45歳、帰郷して10年になる。お察しの方もいるだろうが、俺は従姉と結婚して、従姉の子供の父となった。従姉は3歳年上の48歳、子供は上が22歳、下は19歳で、今はどちらも大学進学で夫婦二人きりだ。10年前、35歳の俺は、38歳の従姉を抱いた。女を抱くのは大学以来、フェラされて勃起、13年ぶりのマンコに感動しながら、種なし精液を従姉のマンコに注いだ。帰郷して半年で従姉弟同士で結婚した。従姉は、結婚してから俺に言った。「あなたの肛門、普通じゃないわね。もしかして、男性と暮らしてた?」俺は静かに頷いた。「お尻の穴の方が、感じるんじゃない?夫婦なんだから、遠慮しないで。辛い人生を歩んできたんでしょう…」数日後、従姉はレズが使う双頭ペニバンをネットで購入して、内側のディルドを自分のマンコに、入れて装着、俺のアナルを犯した。勃起しないチンポが揺れた。時々前立腺に当たり、俺がヨガるのを見て、次第にコツをつかんでいく従姉、そしてついに、俺はペニバンでアンアン喘がされた。「ああ、ああ、イク…主任、種付けてください…ああ、イクイクイクイクイクイク~~~」仰け反ってメスイキする私を、従姉はどんな思いで見ただろう。従姉も気持ちよさそうな表情をしていた。
...省略されました。