夕方にシューヒンが、ムアポンと言う10才の子を連れて再びやって来た。
この子もシューヒンと同じ境遇にあるらしいが、暗い表情は少しもなく終始明るくシューヒンと戯れていた。
レストランで飯を食わせた。何でも好きなもの頼んでいいよと言ったのに、遠慮したのか、カウパット・クン(えび入りチャーハン)を二人ともオーダーしていた。
部屋に入ると同時に、二人とも裸になって浴室に行った。
しばらくキャーキャーと楽しそうに騒いでいたが、15分ぐらいで出てきたので、冷蔵庫から、コーラを出してやって、私もシャワーに行く。
身体にシャワーをかけながら、これから訪れる彼らとの時間を頭に浮かべると、ひとりでに股間の息子が熱くなっていた。
浴室を出て部屋のドアーを空けると、二人が全裸でベッドに仰向けに寝ていた。
少しも動かず、じっとしている。
それでも二人ともの中心部は勃立していて、ピクピクと脈打っていた。
しばらく彼らを見つめていたら、
「クハッ~~♪」
と二人が同時に吹き出した。笑いを堪えていたらしかった。
あまりにも可愛い彼らの様子に、私は、
「こら~」
と言って、彼らに覆いかぶさった。
お腹にはムアポンのチンコの感触があったが、そのままシューヒンのチンコを咥えてやる。
体制を変えて、今度はムアポンの股間にとりかかる。シューヒンと比べると大きく大人のチンコに感じた。
しばらくして、寝ていたシューヒンが起き上がり、ムアポンと交代して来た。
私を寝かせて私の足を開いて、真ん中に入り込んできてフェラを始めた。
そして、私の中心部に顔を埋めているシューヒンのお尻に、ムアポンが自分のチンコを入れようと言うのか。?
驚いた。平常からこの行為はやっているらしく、その動きはとてもスムーズに行っている。
シューヒンの肛門に顔を埋め、舌と指で括約筋を緩めるような仕草も見られ、相当慣れているなと感じた。
シューヒンのアナルに自分のペニスを埋めながら、ムアポンが私に手と目の動きで、何かを伝えようとしている。
どうやら、自分のお尻に、私のものを入れろと言っているらしい。
私はそれを理解して了解した。元から少年を買っているのにここで聖人ぶっていても仕方がないことだ。
元々このタイに来たのは、こんな10歳の少年を犯すアナルSEXをすることを、願っていてた。ここで拒否する選択はない。
ゴムを付けてムアポンの後ろにまわる。
連なる状態でバックで入れることを慣れていないから、なかなか要領を得なかったが、どうにか彼のアナルの収める事ができたが、そこはかなり窮屈で締め付けがすごかった。
女性器とは違う快感とこの行為の興奮で、1分とは持たずムアポンの背中にしがみついて中に出していた。
ムアポンはまだ逝ってないようでだった。
私は前に手を伸ばし、シューヒンのチンコをしごいてやった。背後位から、正常位になりパタンパタンと激しい音をさせながら、腰を動かしている。
そしてムアポンとほぼ同時に、私が扱いていたシューヒンのチンコからも、白い液体が飛び出した。
そのあとにシューヒンのアナルに入れるとムアポンのおかげか、ムアポンよりも、もの凄く柔らかくなっていて、その絶品の締め付けで二度目なのに早急にイってしまった。
この後、3人で浴室に行き、二人の身体にシャワーを掛けながら、
「楽しかったよ、ありがとうな!」
と、昨日、調べておいた、タイ語で話してみた。
「ううん。僕たちこそ、ありがとう・・・・」
と、言ってくれた。
二人のチンコに、交互にキスをした。
ムアポンが、オシッコしたいと言う。
ちょっと、変態に思われるかなと思ったが、勇気を出して言って見た。
「お父さんの顔にかけてみて!」
これまでやって見たかった事が、またひとつ叶った。
タイで、少年たちと3Pができるなんて、思っても見なかった。
ムアポンも気に入ったし、このままもうちょっといてくれないかなって思っていた。
翌朝にシューヒンが、何日か一緒に居たいと言う。
何だか私の考えていたことがシューヒンに読まれたようで、わかった!と、了解して置屋に行ってシューヒンの1週間分の料金を支払い、ホテルに今日から二人になりますと伝えたところ、察してくれて1.5人で良いと言われた。
二人として計算されると思っていただけに、このホテルの良心的なところが、とても嬉しかった。
結局、シューヒンには一日50バーツのお小遣いを上げたが、シューヒンはまるで妻のように、私の面倒を見てくれた。シューヒンは下着の洗濯や部屋の掃除(部屋の掃除は、ホテルではやってくれない)を、言わなくてもやってくれて大いに助かった。
時々、ムアポンも来てくれて、3人で街に遊びに行ったりもした。
予定としては、一週間のつもりだったのが、結局三週間にもなってしまい、この国が大好きになってしまったので、この国に永住する事を決めて一旦帰国した。
実は宝くじの一等と前後が当たっていたから、仕事を辞める気で溜まっている有給休暇を一気に取っていたのだ。
日本での仕事を完全に辞めて生活を整理し処分して、再びタイに来た。
タイに移住すると4階建てのビルを丸ごと賃借し、現地人スタッフの協力で、日本で言う簡易宿泊所的な、ゲストハウスと簡易的な日本語学校を経営しながら、私もそこに通って言葉を習った。
もちろん気に入った少年達を支援という名目で部屋に住まわせて、たっぷりと楽しんだ。
日本に帰国するつもりは無かったが、親の死去などにより日本で遺産整理等をしていくうちに、そこをいつの間にか乗っ取られてしまっていた。
ただそこで交わった少年達は、シューヒンを初めとして、何十人もの少年達を買い続けて沢山のミルクと締まる穴を楽しんだから、いい潮時だったかもしれない。
そして、当時エイズ感染が問題になっており、まさかとは思ったが、万が一の事を考えて、エイズ検査を受けに行った。
結果は、一週間後だと言う。一週間が一ヶ月と思われるほど、待ち遠しかった。
幸い陰性との結果を得て、安心してタイで儲けた資金を元に、日本で新たな事業を始めた。
だが少年と気軽に交われない日本に、息苦しさを感じたことは過言ではない。