高校生の時、3年生になった春だった。
家が近くて、しかも俺に家よりも学校から近かったので、帰りによく寄って二人で遊んでいた。
それはインスタントに造った障害物でゴルフの真似事をしたり、コインや小さいボールなどを使ってボーリングごときをやるといった単なる暇つぶしのような、しかも如何にも子供っぽいものだった。
またチンコをオッ立てて、それで重量挙げをするなど、チンコでも遊ぶことも多かった。
そいつは中学も一緒で、中学時代からチンコが凄くでかい上、中学2年生で始めて見たそいつのそれは、すでに完全な露茎という立派なモノだった。それゆえ当時は皆に大いに揶揄われていた。
根っから明るい性格とでもいうか揶揄われても一向に気にしない奴だったし、いじめなどはない時代だった。
性欲旺盛で、持て余すほど元気な17,8歳で、二人でしょっちゅうチンコで遊ぶことにもなった。
ある日、おいケツに入れたら止められないって本当かな、という話題になった。
実は俺は子供の頃から自分の肛門を弄る悪戯が癖になっていた。
そこで、俺のケツにやってみるか、と冗談を言ってみた。
バカ、男のケツじゃなくて女のケツの話だ、と言う。
ケツなら男も女もないだろう。男同士でケツに入れる奴も居るらしいぞ、と反論した。
当時は俺たちの住む地方都市の高校生の間では、ゲイ(当時はホモ)の存在などあまり知られておらず、真偽を疑うような噂でしかなかった。
そこで、入れてみるか、という話に進んだ。
それにしても、ケツじゃ汚いだろう、と言うので、ちょっと確認してくるとトイレに行った。
肛門弄りは慣れていて、異物挿入もかなり大きいものを頻繁にやっていたから、中の状況はすぐに把握できる。
もちろん一人遊びだったから、他人のチンコなど入れはことはない。
大丈夫だ、本当に居れてみるか、と。
なかなかうまくいかなかったので、何度か試すことになったが、もう既に二人ともその気になっていたので、多少のことは障害にならなかった。
そうしているうちにズッポリと入った。
入ったかと思うと、痛くないのか、と言う。大丈夫だと返すと、恐ろ恐ろではあったけれど腰を振り挿入を繰り返してきた。
さらに大丈夫か、というので、大丈夫、結構気持ちいいよ、と答えた。
徐々に激しくなって、ごめんイクぞ、いいか、と言ったかと思うと、俺に中で大量の射精をした。
あっけない僅かな時間だった。
いやーっ、メチャメチャ気持ちいい、と言う。
こっちはその時、中で射精されると後始末が結構大変なことも分かった。
それでも、本当のチンコで犯られるのは、自分一人での異物挿入の比ではない程その存在感を感じる妙な気持になった。
その日、もう一回やらせろ、と言うので、二度目もやった。今度はすぐイクというのではなく、また慣れと言うのかすんなり入れ、落ち着いて感覚を楽しんでいる様だった。
俺は黙っていたが、何とも言えない快感を感じていた。
それからは、ほとんど毎日の様に二人でケツ掘り遊びに興じ、そしてそれは二人でけの秘密になった。
多い時は、日に4回もやられたが、すっかり俺もその気で、つまり女気分でやられるのを楽しむようになっていた。
その間俺は自分が子供の頃から肛門弄りをしてきたことを打ち明けて、ケツにやられるのは凄くいいとも打ち明けた。
それからは互いに貪るような関係となって、その関係は高校卒業まで続いた。
夏休みの時などは、汗だくなって何度したのか分からない程の回数を重ねる日もあった。
その後互いに進学して離れ離れになった。俺は東京で、そいつはまた別な都市へと進学先の地域も違っていたため、合う機会が無くなっていた。結局、それきりの関係で終わった。
その後、20年ほど経って、そいつのその後を知る高校同期の奴に、そいつの様子を聞いた。
進学先であった都市にそのまま住み、結婚して普通に暮らしており、2児の父だともいう。
それにしても、一度覚えた男のケツの味は忘れられないとも言うが、そいつはその後どうしているのだろう。
おれはそのことで、その後もすっかりゲイセックスに嵌り、ケツ遊びはその後長く続いた。
当時は、今とは違う。ゲイは秘密裏で楽しまれていて、特に若いゲイは、少なくても俺は殆ど会ったことはないほど少なかった。
十九、二十歳で、ウケと言えども全く相手に苦労はしなかった。
そのうちにある出会いで、決して抜け出せないほどのゲイセックスを仕込まれてしまった。
それでも、始めに遊んだあいつのことは、今も鮮明に覚えている。
あれから40年が過ぎた。あいつもケツを求めて彷徨う親爺になっているのかも知れない。