俺はパソコンに残された映像から父と母が日常的に家の中で変態的な行為をしていることを知った。 掲示板での話は妄想や噂ではなく現実だ。 誇張などされていない変態行為がまるで日記のように個人の秘密を凝縮した状態でパソコンの中にあった。 快楽の合間合間に吐き出される父の本音。それは、弱音だ。 地味な見た目の非力な妻に全面的に屈服している。 情けなさを受け入れて官能に溺れている異様な父の姿に俺の心はざわめいた。 知りたくなかった。見たくなかった。けれど、目が離せない。 鞭が空気を切る音に体が硬直するのに血が熱くたぎる。 生き生きとした母が画面の端々に写っているのが、嬉しくもあり悲しくもある。 もっと親孝行をしたかった。 父に似ずに母に似たら悲惨だなんて、友達から言われた軽口に言い返すこともなく同調した自分が恥ずかしい。 母が嫌いだったわけじゃない。 庇ったり、好きだなんて言えば、マザコンあつかいされて馬鹿にされる。 家族の味方にならないほうがよっぽど、甘ったれのガキだ。 思い返すと俺はありがとうの一つもまともに母に言えていない。 年相応に若々しい華やかな自慢の母だったならと最低なないものねだりをして、母を蔑ろにしていた。 けれど、母は何も悪くなかった。 地味で性の匂いを感じさせない女性が放つ罵倒と暴力と性的行動というギャップ。 派手な女王さまじゃない。 おおよそ、母の口から出てくるとは思えない単語の数々がすらすらと吐き出される違和感。 そこにはカタルシスがある。 大人しい女性にアナルを拡張させられる男という構図は映像としての力が強い。 汗か涙か分からないもので顔を汚す父は、元々の顔の作りがいいので、どこかで販売されていても違和感がない。 単純なプレイの記録ではなく見返して気持ちを高めるためのモノにしているのかもしれない。 母の真面目で妥協しない性格を思い出して、少し笑えた。 亡くなってもその人のすべて消えるわけじゃない。 二人は行為に俺があまり縁のない地下室と屋根裏部屋をよく使っていた。 立ち入りを禁じられていたわけじゃない。物置部屋だと思っていたので、気にしていなかった。 ときどき、母や父が片づけをしていることもある、その程度の感覚しか持っていない。 二人は日常的にハードのプレイをしているにもかかわらず、一緒に暮らしている俺には完全に隠していた。 子供のためというよりも父の快楽のためだろう。 映像の中には俺が母を呼ぶ声なんかも入っていた。 二人の姿がそろって俺の目に付くところになかったとしても、まさかこんなアブノーマルな性行為真っ最中だなんて思いもしない。自室での読書中とか、片付けで手が離せないとか、母の適当な言葉に俺はその都度、納得していた。 おやつは冷蔵庫だと俺に向かって叫びながら、父の尻を鞭で打っていたなんて想像できるはずがない。 こんなにも高い頻度で、当たり前の日常の一部として、父が母に責められてよだれを流した喜んでいたのなら、今の状況はかわいそうかもしれない。 映像の中で母は行為を食事に、快楽を栄養に例えていた。 栄養を得るために行為は必要だが、生きていくために必要な栄養を越えて行為をし続ければ破滅しかない。 カロリー過多で糖尿病になりたいのかデブと母が罵っていたことで、たとえ元の食事のコントロールは元より、快楽の制御も出来ていたのだろう。 仕事を頑張った自分へのご褒美にケーキ食べてる女だと言いながら母は父の乳首をつねり上げていた。 やっている行動がドン引きな性行為でも、気持ちとしてはどこか理解できる。 父にとって楽しみが被虐であっただけだ。ビールを飲んでこのために仕事を頑張ったという居酒屋にいるサラリーマンたちと何も変わらない。 父と母のことを気持ちが悪いだとか、頭がおかしいとは切り捨てられない。 家族が俺と父しか居ないからかもしれない。 日常的な場所での行為が父の興奮を呼ぶらしい。 残された映像からうかがえた、確実な事実はそういったものだった。 俺がリビングで勉強をしている最中にキッチンでふたりで料理を作っていたことがある。 そんなときの映像も残されている。
...省略されました。