僕は、まだ小学生にもなってもいない頃、両親が離婚した為、母と二人で母の実家にある農作業小屋の2階で暮らすようになりました。
実家は、周りを山に囲まれた寂しいところにあり、農家が数件あるだけで、子供は、僕と一歳年上の女の子がいるだけでした。
女の子の母親も、うちと同じ出戻りだったので、母親同士が仲良くなり、僕たちもよく遊ぶようになりました。
そして、恥ずかしい話ですが、お医者さんごっこをするようになってしまいました。
幼い頃のことなので細かなことまではよく覚えていませんが、大人はみんな農作業で忙しくて、昼はいませんでしたので、二人は見つかることもなく、どちらかがお医者さんになって、相手を裸にして、性器やお尻の穴を触ったり匂いを嗅いだりしていました。
でも、突然、女の子のお母さんが結婚することになり、引っ越してしまったので、僕は一人で遊ぶしかなくて、その頃からはじめたのが、女の子にやってもらって気持ちがよかった肛門いじりでした。それが30を過ぎた今でもやめられません。
はじめの頃はただ指を一本入れて動かすだけでしたが、その指が2本になり3本になり、小学校の4,5年生になった頃には、母が買ってくれたガラスの文鎮の置物や、ビー玉、ナスや小ビンなども入れるようになってしまいました。5年生のいつ頃か忘れましたが、夢精もするようになりました。でも、どういうわけかチンポを触るより、肛門を弄る方が好きだったんです。夢精だけでは射精するときのあの気持ちよさがまだわからなかったのかもしれません。
そして、小学校6年生になって少し経った頃だったと思いますが、僕にとって忘れられないことが起こりました。
その日も学校が終わって、いつものように帰り道の途中で友達とも別れ、一人で坂道を歩いていると、白い乗用車が僕を追い越していきました。山道を走る車は大体が軽トラックだったので、珍しくて覚えています。乗用車はすぐに見えなくなってしまいました。僕が、そのまま坂道を歩いて行くと、道の隅に雑誌が落ちていました。表紙に裸の女性の写真が見えたので、一目見てエロ本だとわかりました。僕は辺りをキョロキョロ見回しましたが、人の気配はなかったので急いでそれを拾い、坂道を少し登ったところにある、小さな社の裏に回って、そのエロ本をドキドキしながら見始めました。エロ本など表紙しか見たことがなかった僕には、刺激が強すぎました。肝心なところは黒く塗られていましたが、男性が女性の性器を舐めている写真や、女性が男性のチンポをしゃぶっている写真、チンポから白いものが出て、女性の口や顔にかかっている写真、チンポを女性の性器やお尻の穴に入れている写真などなど初めて見る写真ばかりでした。その時僕は、自分のチンポが、肛門いじりをしている時のように、異常な状態になっているのに気づき、辺りに人がいないのを確かめてから、半ズボンのチャックを下ろして硬くなったチンポを出しました。
そして、そのままエロ本を見ていましたが、益々興奮してきてしまって、半ズボンとパンツを膝までずらして、いつもやっているように、左手の指2本につばをつけて、肛門に入れながら、エロ本を見だしてしまいました。
と、突然後ろで足音がして、「見たぞ。」って声がしたんです。僕は驚きのあまり、そのままの格好で後ろを振り向いて、かたまってしまいました。帽子をかぶってサングラスをかけた男の人が、にやにやしながら近づいてきて、「面白いことしてるじゃないか」と言ったんです。僕は、何も言えずに呆然としていました。「小学生が、ケツに指突っ込んでこんな本見てて、学校に連絡するぞ。」と言われて、僕は、我にかえって、「ごめんなさい。言わないでください。ごめんなさい。」と、半ズボンをあげながら頼んでいました。「とにかく言われたくなかったら、俺についてこい。」と言われてついていくと、白い車がありました。僕は、乗るのはいやでしたが、学校に言われたくなかったので、乗るしかありませんでした。この続きは、また後ほどさせて頂きます。