昭和50年代、関西にも同じようなストリップ劇場は
たくさんありました。神戸にも梅田にも京都にも尼崎
にもあったかなあ。西宮の寮生活は退屈で、会社にも
これといった女性はいなくて、性欲を持て余していた
二十代。初めて入ったストリップ劇場は京都だったと
思います。初めてもらったボーナスで、当時トルコ風
呂と言われていた今のソープランドへ行って社会に出
てから初めてのセックスに期待をもって出かけたので
したが、入浴料以外の本番のための費用が高すぎるな
とそういう歓楽街の道をほっつきあるいていたら、呼
び込みの兄さんに声をかけられ、予算を話すと、そう
いうことなら、ストリップ劇場が手ごろ。ちょっと勇
気出して舞台に上がれば、ストリップ嬢と本番やれる
と教えられて向かった劇場に入ったのでした。昼間から中高年
のオヤジ達の異様な熱気に圧倒されました。予想していた
より派手に混んでいたのです。ショーのところどころで、
かぶりつきと呼ばれる舞台のまわりにたむろする年配
のオヤジ達が掛け声をかけてジャンケンを繰り広げ、
勝ち抜いたオヤジが舞台にあげられ下半身むき出し
にされて簡易ベッドに寝かされ、ストリッパーが手コ
キで勃起させ、ある程度勃起するとコンドームを被せ
嬢がそれにまたがり派手派手しく腰を振って、男はあっ
という間に果てはずしたコンドームをストリッパーが
誇らしげに観客に見せ、男は勃起したまま寝かされて
いて手渡されたおしぼりで自分で後始末をして舞台を
降りるって感じでした。前の方に陣取っていないとそ
の恩恵にあずかれないなと、最後列から見ていたぼく
には無理だ、そう思ってあきらめかけていた時、ちょ
うど真後ろのカーテンが開き、そこにストリッパーの
女性がガウンを羽織って入って行きました。無知だっ
た僕はそこで衣装の着替えをするのかと思い、見ない
ようにしていたら、隣にいたオジサンが「はよ、はい
りーな」と背中を押されてカーテンボックスの中へ、
押し込まれる感じに入れられてしまったのでした。
中にいた嬢は、カーテンをしめると、ガウンを脱ぎ、
壁のフックに掛けるとなんとビキニ一枚。逃げ出そう
かと思う間もなく、ズボンのベルトを外され手際よく
ズボンごと下着まで膝のところまで下ろされてしまっ
たのでした。しかし、しっかり勃起していたので、踊
り子嬢は「始めからこうなっててくれると助かるわあ」
「あんた、若いな。もしかして童貞ちゃう?皮もしっ
かり剥けてへんし。」はい、実はそうなんですと言っ
たと思います。そうしたら、「大事な童貞、こんなと
ころで捨てたらあかんえ。でも、まあ、こんなんなっ
てはったら帰りとうてもかえれへんな。スッキリはさ
せてあげるさかい、それでかんべんな。」といってコ
ンドームをつけると、隅の椅子に座らされ、手コキさ
れ口に含まれ舌で敏感なところを集中的に攻撃されて
あえなく射精。興奮の脈動がおさまるまで口に入れて
てくれて快感の余韻を十分に味わわせてくれたのはよ
かったです。まだ勃起のおさまらないペニスを納めズ
ボンを上げている間に、その嬢が、「童貞捨てはるな
らトルコはんのいいとこ紹介するさかい、しっかり資
金作りはっておいきいや。ここの渚ちゃん、おすすめ
やわ」とトルコ風呂のカードをもらって出ました。
入浴料10000円、中でのサービス料25000円とボールペ
ンでメモ書きしてくれてあって、場所は、京都ではな
く神戸福原でした。冬のボーナスが出た翌日、さっそ
く電話して渚さんの予約をとり、その一週間ほど前か
ら禁欲し射精を堪えていたこともあって、当日は二時
間半の制限時間の間に、4回も性交させてくれて絶頂に
達することができました。四回目のコンドーム見て渚
さんが「もう、絞り出し切った感じやな。これなら、
もういっても、精子出えへんな。」確かに、最後は快
感の脈動だけで、中身がなかったようだったのですが、
それでもまだ、ペニスはしっかり勃起していたので渚
さんも驚いて、「まだ、治まらへんの?すごいなあ」と
いうので、渚さんがあまりにも魅力的だから体見てる
だけで反応しちゃって、とか言ったんだとおもいます。
そうしたら、「あんたはん、ホンマ童貞さんやったみ
たいだし、お互い病気とかなさそうやし、ホンマの男
と女のまぐわい、しよか」と最後に何もつけずに性交
させてくれたのでした。絶頂を迎えてぐったりすると
ベッドの上で交わったまま抱き合いしばらくじっとし
ていてくれてようやくペニスの腫れが引いていき、サッと
ひと風呂浴びてという充実した時間になりました。
なんだかんだいって、昭和は良い時代でした。
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