七十も後半に入るとさすがに性欲が衰えるどころか、本当に
身体的にも衰え数年前からなかなか勃起もままならなくなった。
思えば中学二年の春、家に住み込んでいた二十歳そこそこのお手
伝いさんに射精の快感とセックスの楽しみを押し込前て以来、僕
はセックスをすることだけを目標に生きてきていた感じさえする。
夜、眠れなくてムラムラしてくると、なぜか、そのお手伝いのキ
ミカさんがベッドの脇に立っていて、「眠れませんか?」と優し
く聞いてくれ、服をその場に脱ぎ捨てるようにゆかにおとして
下着だけになってベッドに入って来て抱きしめてくれた。
そして、ただ抱き合っていただけのはずなおにいつの間に
か、二人とも裸で、ペニスもただ太ももにはさんでいただけの
はずだったのにいつのまにか、キミカの体に突き刺さるように入
ってしまっていて上り詰めてしまっていた。そんな状況が続いたが、
それでも、中学生の頃はそんなに頻繁ではなく、せいぜい、週に
一度休日の前の夜とかキミカの休みの日、十日に一度といったペ
ースだった。高校生になった夏休みの前あたりから、性欲が異常に
強くなり、キミカさんの来室をナチきれなくなった僕は、毎夜のよ
うに彼女の部屋に忍び、体を求めるようになった。しかし、彼女の
部屋を訪れた時は性交させてくれることはなく、ただ、手でしごい
て射精させてくれるか、時に口にくわえて舌で敏感なところをレロ
レロされて射精させられ帰されることがほとんどだった。
大学は、成績の関係で地方の工業機械系のところに行ったので、女
性との縁はあの時代皆無だった。アパート風の下宿もむさくるしい
男ばかりで正直身の毛がよだったが、住めば都と六畳一間の部屋に
くすぶり大学と下宿の往復に明け暮れる日々となっていた。
家を出る最後の日、キミカさんの部屋をおとずれると、初めて、
裸になって入っておいでと言って布団をめくってくれた。
キミカさんに添い寝するように横になると、すでに硬く大きくなっ
たペニスをかるくさすると、すぐに股間に導き太ももに挟まれいつ
の間にか中にしっかりおさまっていてキミカさんにきつく抱きしめ
られたとき、上り詰め精を中に放った。すべて終えて部屋を出よう
としたときキミカさんがどこからか箱を取り出し中のコップのよう
なものを出して見せながら言った。「これから、しばらくは
たいへんだと思うけど、ガマンできなくなったら、これ使って
静めてあげるといいわ。」とくれたのは今では一般的になったオナ
ホールだった。直接入れて射精しても大丈夫なシリコン製だけど、
洗ったりして綺麗にしておかないといけないからこれ使うといいわ
とコンドームも3箱ほどくれた。
せっかくキミカさんがくれたオナホールだから使おうかなと思っていた
矢先、新入生歓迎コンパにかりだされ、未成年だというのにしこたま飲
まされ意識不明になって誰かの下宿に担ぎ込まれ目をさますと、そこに
はえげつなく足を広げて寝てる女子学生が三人転がっていた。
男子は僕一人で、部屋の数か所に、使ったコンドームとそのパッケージ
が散乱していた。その三人の女性とのセックスのお陰で、大学生活での
性欲処理の心配は皆無になったどころか、いささかやりすぎで精力もた
ない感じでさえあった。
ところが、社会に出て、会社員生活を始めると、そういった女性の出現
が皆無となり、勢い、オナホール射精のような子供だましは通じなくなっ
てしまっていた。大坂、南周辺のリサーチ担当になって風俗の快感にドは
まりしてしまい、結婚しようなどといいう発想がぶっ飛ぶっとび
プロの女性がもたらしてくれる性の饗宴、目くるめくような快感におぼれ
におぼれ、気付けば還暦、古希を過ぎていった。社会に出てある程度金の
自由が手に入ると、ほとんどは風俗嬢との濃厚セックスに費やされ消えて
いった。一昨年、突如、インポに陥り、早二年。人間枯れるときは
一気に枯れる。若い人にいいたい。性欲は若いうちに使い切るくらいセッ
クスに励んでおけよ。そうすれば、年が来て突如インポになっても焦りは
しない。中途半端に性欲を持ち越すから、年取って見苦しいスケベ
爺に成り下がるんだ。昭和の公害や発がん性だらけの食品食って汚ねー空
気吸って飲んだくれて、ハチャメチャやっても、古希まではしっかり勃起
し女の中に結構な量の精を放てたんだ。頑張れ若者!