もともと妻は付き合ってる時からセックスには淡白な女でした。
女性のみんながセックス好きというわけではないことを妻で私が知ったほどです。
もっとも世間様は「お前の調教が悪いんだろ」とか、「粗チンだからだろ」とか笑うかも知れませんけどね、
確かに大きくはないけどそんなに酷くもないと思います(笑)
でもまあ、巨根でないおかげで◇◇◇に入れることができたと思えば小さいのも悪くはなかったのかな。
初めて◇◇◇の穴に差し込んだ時のあの感触を私は生涯忘れないだろうと思います。それくらい素晴らしかった。
普通に抜き差ししている今でもその良さは変わらないけど、ヤッパり最初というのは特別なものがありますよね。
●●●も私のペニスを自分の膣に入れてみたいという衝動が芽生えています。
たぶん……子宮筋腫の検査でそこに装具を入れられてからだと思うんですよね。実感として膣は「入れる」場所だという感覚が芽生えたんだと思います。これも性早熟症状の弊害かも知れません。
とは言っても娘はまだ6歳で、如何にも膣口は小さくて私の粗末な物でも到底ムリそうです。
子宮筋腫の摘出を開腹手術でしたばかりの娘の生殖器に怪我を負わせるような真似はできません。
ただ以前はクンニを求めてきていたのに最近は私のペニスを割れ目に擦り付ける事を好むようになっています。いわゆる「スマタ」です。
両足を抱え上げて割れ目に沿ってペニスの裏側をズルズルと擦り付けるんです。
パパの気持ち良さそうな顔を確かめたいのか虚ろな目をずっと私に向けます。
子供の頃妹に毎晩、本当に欠かさず毎晩あの2段ベッドの上で妹とやっていた行為。
年齢も娘と近く、困ったことにあの頃の妹に娘は顔立ちが凄く似ているんです。
まあ、血が近いから不思議なことではないんだけど、それにしても似すぎている。最悪です。
それでも妹には入れる事はとうとうありませんでした。
その前に二人の淫行が母親にバレ、父親の制裁を受けて私たちは部屋を離されてしまいました。
私のストレスは次第に自慰では処理しきれなくなって行きました。
学校の帰り道でよく一人で庭で遊んでいる女の子がいたんです。
大きな家でガレージがあり大谷石の高い塀に囲まれていて手入れされた庭木があり如何にもお金持ちという構えの家でした。
通りかかるとガレージの前でしゃがんだその女の子がコンクリートの通路にチョークでお絵描きをしているんです。しゃがんだ黄色いスカートから見える輝くような白いプリントパンツ……割れ目を隠している膨らみ……
私はフラフラといつの間にか門の中に入っていました。
話はしたことがなくても何度も学校の帰りに顔を合わせていたので女の子も警戒は薄かったんでしょうね、私が家から見えないようにガレージと塀の間に誘うと素直についてきたんです。
「おもしろいことをしようよ」
ガレージの裏に連れ込むと直ぐにズボンとパンツを下げて勃起したペニスを出しました。
その頃にはすでに私のペニスは勃起するとほとんど皮が剥けていたんです。
珍しそうにニヤニヤして見ていた女の子の手をとって「にぎって」と指示をすると「え~?」と言いながらも恐々握ってきました。
その手を上から掴むと前後に激しく動かしたんです。
その時から女の子の表情が固くなってることに私は久々のペニスに感じる自分以外の手の感触に興奮してしまっていて気づきませんでした。
もう片方の手で女の子の黄色いスカートを捲りパンツの中に素早く手を入れると割れ目に指を這わせます。
女の子の「もうやだぁ」と言う言葉を聞きながら柔らかなその感触とペニスの刺激で理性などもう欠片もない状態でした。
女の子がペニスを掴まされた手を振り払うのと射精の痙攣とが同時でした。
私は仕方なく自分の手で扱き、女の子はおまんこを触られてる私の腕をを掴んでやめさせようと必死です。
女の子の黄色いスカートと細い腕に私の精液が飛び散り、いくつもの白い斑点となって付きました。
それを驚いて見開いた目で私の顔と交互に何度も見返した女の子が我にかえったようにガレージの裏から走り出しました。
「ままあああーーーっ!」そう叫びながら……
私も我にかえりズボンを上げながら門から走って逃げだしていたのです。
その日の夜、激しい怒りと共に女の子の両親が我が家に押し掛けてきて抗議をしたことで私は激しく父親に殴られました。それは先方のご両親が慌てて止めに入るまで何度も何度も……
そんな少年期を過ごした私です。
今の姿があるのは当然の事だったのかも知れませんね。
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