私はロリコンです。私のロリータコンプレックス歴は長くて思い起こせばSの低学年にも遡ります。
もしかすると私も性早熟児だったのかも知れません。
記憶は定かではありませんが多分物心がついた頃にはペニスを勃起させていたように思います。精通は妹がS学校に入学した年で赤いランドセルの皮のにおいが部屋に充満していたのを覚えているので私はたぶんS3年生だったのでしょうね。それは何となくでした。
特にイヤらしい妄想とかもなく二段ベッドの上の段で横向きになり何となく勃起したぺニスをマットに擦り付けていたんだんです。それは今でも忘れません。
突然ペニスシーツに擦り付けている部分が熱くなりおかしな重苦しい痺れが熱くなったペニスから下半身全体に沸き起こったのです。それは足のつま先にまで及びました。そして何かがペニスの先端に向かって勢いよく走り出てくる感覚に襲われて私は怖くなってペニスから出ないように必死で指で握りました、でも全くお構いなしにそれは激しい痙攣と共に飛び出してしまったのです。
布団を剥いでパンツも下げていた私はしっかりと初めての射精の瞬間を自分で目撃をしたのです。それは快感と言うよりは恐ろしい未知の「苦しみ」に近い感じに思えたのを覚えています。トクトクと握ったペニスの先端から白い液体がいつまでも長く流れだしその間その苦しい痺れは続きました。
それは本当に怖い経験だったのに次の日の夜になると不思議とまたその苦しみが欲しくなりぺニスを持つとブルブルシュルシュルとシーツに擦り付けていたのです。子供でしたね、怖かったけど「あの感じが起こったらやめればいい」そう思って続けているとまたペニスガが焼けるような熱さを感じて慌ててシーツへの摩擦を中断したのですがやはり間に合いません。不思議な苦しく切ない痺れと共に勃起したペニスの先からまた昨日と同じ量の白い液体が断続的な痙攣に合わせピュッ、、ピュッと飛び出しシーツの上に溜まります。
二段ベッドからそっと降りると勉強机の上のボックスティッシュを数枚抜き取るとまたそうっと戻りシーツの濡れた部分を拭います。
「お兄ちゃん、どうしたの?、、何してるの?」
心臓が口から飛び出しそうになりました。
いつの間にか妹がベッドの梯子を登って顔を見せていたのです。
「あー、おしっこ、お兄ちゃんお漏らししてるうっ」妹にそう言われて慌てて否定しました。
「ちがうよっ!オシッコじゃないよっ」と、でももちろん妹にはおしっこ以外の理由など思い付くはずもなく「しゃあさ、なんで拭いてるの?」そう言うと梯子から降りて部屋を走り出て行ってしまいました。
「ママあーっ、お兄ちゃんねえーー……」階段から叫ぶ妹の声。
母親が妹と一緒に階段を上り部屋に入ってくると私にベッドから降りるように言います。母親の手には新しいシーツが既に用意してありました。無言で私が精液で濡らしたシーツを丸めるとタンスの引き出しから私の新しいパンツを出し履き替えるように言ったのです。黙ってそれを受け取りパンツを下げると残液がパンツに染みを作っていることに気づいたのか母が机の上のティッシュを抜き取ると私の萎えたペニスの皮を剥き一度だけ搾るように扱きました。私の白っぽい亀頭を拭うと尻を叩いて「いいよっ、ほらパンツ替えて」と促しました。妹はそんな私たちの様子を眺めていてゲラゲラと笑っていました。その日もシーツは既に取り替えてあったことから母は息子に何が起きているのかを既に知っていたのだと思います。だから敢えて私には一言も騒がず黙ってシーツを取り替えて部屋から出て行ったのです。
母親にペニスの皮を剥かれた時のあの母の少しだけ冷たい指の感触は未だに忘れられない記憶です。
クスクスといつまでも笑っている妹に母が「いつまでも笑ってないのッ、誰にも言わないんだよッ、わかった?」厳しい口調で言ってくれたものでした。
それからはシーツに擦り付けなくても指で摘まんで扱くだけで射精ができることを覚えると私の自慰は毎日の日課となって行きました。誰にも経験があると思いますが多いときには一日に三回、四回とすることもあったのです。
私はそのときまだ8~9歳になったばかりだと思います。
やはり娘は私の異常なDNAを受け継いで産まれたのかも知れません。
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