先に余談になってしまいますが
70年代は良い時代だったと思います、正直今の世よりも格差は大きく
部落とか同和、等と言う差別用語まで普通に使われていた時代です
裕福な人も居ましたがその何百倍も貧乏人が居ましたが生きる事への執念は皆同じく強くそれが活気に繋がって居たと思います。
コンビニもネットも携帯も無く便利と名の付くものは殆ど無かった時代で
何かあっても人伝えで聞くころには話が大きく変わってるなんて事もたくさんありました。
情報を素早く手軽に誰でもなんて手段が無かったので逆に情報が洩れる事も無く匿名性SNSなんては有るわけが無く、
誰かが誰かを誹謗中傷しそれが事実と異なれば炎上どころか言った本人の顔が炎症を起こす時代です、
なので秘め事が秘め事で人の心にきちんと封印されると言う時代だったと
言う事をもし90年以降に生まれた方やZ世代の方が読まれていらっしゃったらその辺りを想像して読んで頂けるとありがたく思います。
平日は普通の高校生、週末は左官屋のバイトと言う生活が続く中
時々現れるのがB子さん親子。
B子さんは私たちが暮らす街から2時間ほどの街の出身で逃げたご主人と駆け落ちの様な状態でこの街に移り住んだと言う事でした。
あの社宅に住む様になって2年目くらいに私たちが引っ越して来たと言う事で都会から何かの事情で都落ちして来たのだろうから
親切にと思ってくれて居た様ですが
何せ気の強い母親で誰かに助けてもらおうなんて気は全く無く。
離婚の時も簡単な挨拶を済ませるとさっさと引っ越してしまいました。
そんなB子さんのご主人がどこかの嫁さんと今で言う不倫関係になりいきなり
逃げてしまったと言う事です。
当時と言うか今でもありそうな話なのですが
3交代と言う特殊な勤務形態で何か事故が起きれば即、死につながる職種です
何につけやった者勝ちと言うか男も女も今を懸命に生きて居る人たちが暮らすコロニーなので
夜勤で帰って来た人が隣の日勤で出て行った人の嫁さんと真昼間からその家でしてるなんてのは普通に有った様で
周りの人は見て見ぬふりをするのが日常だった様ですB子さんの
旦那さんはそのまま何処かに消えてしまい。
収入が無くなり社宅もすぐに出なければならない状態で母親の務める店に面接に来た様で、既にチィーママの存在の母親が面接に立ち合いかなり困って居るようだったので
とりあえず採用したとの事でした。
若くして駆け落ちし子供も授かり普通の生活からいきなりシングルマザーで
更には手っ取り早く稼ぐ為にホステスと言う今じゃ底辺とか色々と言われる様ですがこの町では日常茶飯事の事なのです。
母親の働く店の半数以上の女性がそんな境遇の人達だったと言う事です。
まっ私の家も同じなんですけどね。
更に都会の様に夜間の保育施設なんて無く、いつの間にかB子さんは出勤前に娘さんを連れて我が家に来て母親と一緒に店に向かう様になり
私は親が帰るまでその娘さんの面倒を見ないといけないと言う本当に面倒な事を押し付けられるのですが。
その駄賃が高額なので文句も言わず面倒をみて居ました(笑)
店で派手な客がチップをバラまく日があると帰って来た母親とB子さんが着替えの時に母親の着物の袖とかB子さんのブラの間から
札が落ちるんです。
酔いに任せてT君いつもありがとうと、その札の皺を伸ばしてハイってくれるのですが酔っていて気が大きくなっているのと、
どうでもよくなっているのか5千円札も1万円札も区別がついてなかったと思います(笑)
そんな子守り生活なのですが週末は左官屋さんのバイトもあり学校と子守りと
バイトと言う全く自由の無い様な生活が半年くらい続いた頃、私たちの住むアパートの下の階に空きが出来B子さん親子が越して来て
幾分オナニーがしやすい環境になった頃に変化が起きます。
左官屋さんのバイトは結果高校を卒業するまで続くのですが
バイクのお金を完済までには至らなかったのですが。
東京の大学に進学が決まり親方に報告しに行った時にはC子さんと共に本当に喜んでくれて結果残金は合格祝いと言う事で帳消しにして頂きました。
それにしても普通の高校生が大型のバイクで当時暴走族も憧れる様な代物なのですが
元々の持ち主を知って居る、地元の不良や暴走族の連中からも嫌がらせをされる事無くさらにバイトのおかげでパンプアップされた体は若干威圧感も有った様で
実に快適なバイクライフを送れたのも親方のおかげです。
今までは仕事が終わるとB子さんが泊まらない時は子供を抱いてタクシーに乗り帰宅していたのですが下に越して来てからB子さんが帰ると
私が女の子を抱いて部屋まで連れて行きB子さんに渡す様になるんです、随分横柄なB子さんと思われるかもしれませんが、なぜ来ないかと言うとドレスのB子さんが階段を歩くとヒールがやたら響くんです。
周りからごちゃごちゃ言われるのが大嫌いな母親が私に連れて行けと言う指令でした。
私が連れて行かないと言う事は私が寝て居ると言う事なのでそんな時はB子さんがサンダルに履き替え私の横で小さな布団を敷いて寝ている我が娘を抱いて帰るのです。
赤ちゃんでは無く5歳くらいの子供を抱いた事がある人は分かると思いますが渡す時に相手がしっかり抱いてから自分の手を離さないと落としてしまう危険があるので。
それでB子さんに子供を渡すのですが当然子供の体とB子さんの胸に私の腕がギュっと押しつぶされる形になりそこから手を抜きますから、まともにB子さんの胸の感触が伝わるので
出来るだけ目を合わさない様に悟られない様に子供を渡すのです
。
エアコンは有ってもまだ一般家庭に普及する前で涼を取るのは日陰と夜風くらいの時代です。
夏の暑い夜に、子供を渡しに行くと既に洋服を脱ぎブラもパンティーも脱ぎ胸元にうっすら汗を浮かべた赤いスリップ姿のB子さんが現れ
メイクはまだ落として居ないので、またまたエロ本のグラビアをリアルで見て更に生のオッパイに自分の腕がグリグリです、
若い人にはスリップって何?だと思いますので少し解説
早い話がキャミソールの長い薄い物で胸元がレースなら乳首までハッキリ見える膝上くらいまでの下着の事です薄いのでパンティーを履いて居ないと
未処理の股間は黒々と黒のパンテーイを履いているかの様に見えるんです。
そんなある日、親戚で不幸があり私は学校があるのと更に親戚の所までは。
住んでいる町から電車で3時間移動してそこから飛行機なのですが、当時の飛行機が片道3.5万円くらいだったと思います。
学校もあり運賃も高額だし自分の運賃を香典にと言う事で私は一人でお留守番になるのですがそこで事が起こります。
B子さんは私と子供の夕飯の支度をしてから店に出る事になり
その日B子さんが帰りに何か夜食になるような物を買って来てくれると言うのでそのままB子さんの部屋で子供を寝かせTVを見ながら帰りをまっていました。
日付が変わるころホロ酔いのB子さんが帰って来て土産をもらって帰ろうとするとB子さんはちょっとお話しょうかと言うので振り返ると既に鮮やかなブルーのスリップ姿で立っていました。
何時も娘の面倒をみてくれて本当にありがとう、本当は友達とか彼女とかと遊びたいよねゴメンネと少し涙ぐんでいるので全然平気です友達とは日曜に遊んでいるのでと言いながらテッシュを取って目の下を軽くふいてあげると
T君優しいねありがとうねと私の手を握り自分の胸にギュっと押し付けられ。
手を振りほどくのも可哀そうと思った私は
そのままB子さんにキスをしちゃったのですが、B子さんは抵抗もせず舌が私の口の中に、既に左官屋の親方の奥さんに幾度か手ほどきを受けて居たのでそれほど驚きも無くなんとなく私の口の中で動くB子さんの舌を好きにさせ時に軽く吸うと
私の首に腕を回し私の頭を押さえさらに強く唇を押し付けて来るのです、
そのまま暫くキスをして少し強く抱きしめるとハァ~と言う吐息と
同時にB子さんの膝の力が抜けそのままB子さんを抱きかかえる様に床に寝かすと。
あっゴメンと一応拒否の姿勢ですが言葉と体は真逆で全く無抵抗です。
奥に行けば布団はあるのですが娘さんが寝ているのでそのままB子さんの胸を揉み、上はキャミと同じですから簡単に肩紐はずれて胸が露出されます
そのまま乳首を口に含み舌で転がし軽く甘噛みするとハァァァ~と言う声が
ですがまだあの時壁に耳を付けて聞いた声ではありませんでした
両方の乳首を交互に弄り本人がキスをしたがるので途中でキスをしながら股間を触ると既に洪水状態。
私、この時に躊躇してしまうのです、左官屋の親方の奥さんはしてくれるのですがさせてくれないんです、フェラをされている時に69になろうとすると
恥ずかしいからダメ、見せてくれたのに
クンニをしようとすると恥ずかしいとか汚いからダメと言われ指を入れるくらいがMAXなので。
とにかく大洪水のオマンコに指を2本入れると痛いと言われドキリ、
狭いのです、左官屋の奥さんは指を2本使ってと言われるので私の中ではそれがスタンダードだったのですが取り合えず
中指1本を入れてかき回して居ると
次第に声が大きくなりあの時聞いたイク~を耳元で聞くことになりました
ほんの少し放心状態になった後B子さんが体を起こしT君初めてじゃないよね
私イッちゃったもん。
これも初めてじゃないよねと私のチンポを握ると亀頭を強く吸われそのまま根元までくわえ込むと鼻息が荒くなり頭を上下に振り出します。
左官屋の奥さんのネットリと違い少し雑で痛いのですが本人が一生懸命なので
暫くされるままになりB子さん見せてと初めて69になり目の前のクリトリスをつまんだり舐めたり軽く吸ってみたり。
その都度声のトーンが変わるのでそれを確認しながら弄って居ると欲しくなってきちゃった入れてと、言われるのですがゴムが無いですよと言うと外にだしてと言われ
入り口にあてがいゆっくり入れると、かなりきついんです。
ですがティーンエイジャーのギンギンになったチンポですから容易に中に進みます眉間に皺を寄せて歯を食いしばって居る顔が感じて居るのか痛いのを我慢しているのかなんて
経験が乏しい私には全く分からず全てをB子さんの中に入れると不思議と中は広く
私のチンポの根元だけが強く締め付けられて居る感じでこれが幸いしたのか暫くゆっくり腰を動かす事が出来。
そのうちにB子さんの顔から眉間の皺はそのままなんですが口が半開きになりアァァ~、イィィィィ~と言う声が漏れだし。
これは左官屋の奥さんが絶頂を迎える少し前で
T君出したくなったら出していいよ!!アァァァ~と同じだと思った私は
さらに力強くよくガンガン打ち付ける様に腰を使うと、B子さんのあそこから
ブチュブチゥと音が聞こえ出し股の周りがベタベタで更に独特の匂いがしだし
その頃には私も我慢の限界で出ちゃうと言うと、いいよ出して出していいよ
お腹の上に一杯だしてと言う言葉と同時に大量射精をするのですが。
身体を離そうとすると待ってと言われると同時にB子さんの手が私のチンポを
根元から扱きだし自分のヘソの辺りにこすり付け扱くと言うより絞りだす感じが凄い快感になっておりました。
お母さんには内緒ね、お母さんにばれたら私、叱られちゃうしここに住んで居られなくなるから絶対に内緒ねと言われるのですが私に取っては願ったり叶ったりで。
T君オナニーとかするんでしょ我慢できなくなったら来ていいよ!!と有り難いお言葉に甘えさせて頂きそれ以降、平日に母親が美容室とか付き合いで始めたゴルフで
暫く帰ってこない時はお世話になっておりましたのでオナニーの回数は同級生よりはかなり少なかったと思います。
回数的には左官屋の奥さんよりB子さんとの方が多くなるのですが
なんと言うか初めての女性である左官屋の奥さんの方が安心感と言うか
甘えられると言うかどちらの女性も素敵な女性なんですがどちらと言われれば左官屋の奥さんの方が好きでした。
そのB子さんも仕事に慣れ指名の客も付き収入もかなり増えて行くと同時に帰宅がどんどん遅くなるのです。
母親はその理由は十分知っている訳で、何も言わず私も今で言うアフターなのね程度で気にもならずなんですが、
暫くしてかなり濃密なアフターと知る事になるのです。
それでも気持ちが左官屋の奥さんの方なのでそれ程、気にもならないで居ると
私がどこかに出かけ帰りが遅くなった時に見ちゃうんです。
母親から遅くなったら(22時以降)バイクの音が煩いので通りでエンジンを止めてアパートまで押して帰って来いと言われて居たので。
通りからバイクを押して歩いて居るとアパートから少し離れたところに
車が止まっていて今の様にスモークもカーテンも無く車内は丸見えの状態で
運転席側をバイクを押して通ると男性の頭と女性の額の辺りが街路灯に薄く照らされているのが見え、女性の方はB子さんでした一瞬目が合った様な気がしたんですが
私は何も見なかった様にそのままバイクを押して部屋へ暫くして
B子さんが帰宅した様でした。
後日、B子さんから色々と弁明を聞くのですが、私の彼女でも無く
年上の女性で、しかも気持ちはどちらかと言うと左官屋の奥さんですから
全く気にならず仕方ないよねと返事をすると。
それがやたら素っ気なく聞こえたのでしょうか、目にうっすら涙を浮かべ嫌いになったでしょとか言い出し
この頃から現在に至るまで女心ってのがわからない状態が未だに続いております、
きっと一生分からないでしょうね
この時のB子さんの嫌いになったでしょ!?は今思えば人としてと言う意味にだと思います。
早い話が軽蔑されていると思ったんでしょうね。
そんな事全く無いんですけどね。
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