洗面台に手をついてお尻をあげさせられた格好で後ろから犯された。
激しく突かれながら嘔吐感は治まらず、何度も空吐きを繰り返し苦しんだがお構いなしに前後に揺すられていたが、一度抜かれ、下ろされると先生は棚から何かのオイルをとり自分の物と妻の肛門に塗りつけた。
何をされるのかは分かっていた。
最後はさすがに膣の中には出せないため、いつも肛門に差し込んで射精するからだ。
また腰を持ち上げられると一気に差し込まれた。
何度も出し入れされるなか、また吐いたが鼻水とヨダレが出ただけだった。
快楽を覚え込ませられながら、しかし同時に男の醜さ、おぞましさも植え付けられていったと言う。
快感が大きければ、それに比例して男への嫌悪感もまた大きくなって行ったのだと言う。
それでも肉の快楽に勝てず先生の誘いに抵抗することができなかった。
車の中では洗う事ができないのでゴムを着けて膣に出していたが家でされるときには生で、最後に直腸に出される事が殆どだったようだ。
月に多い時は三回も四回も、少ないときも最低一回は誘われた。
私の知らないような体位も経験させられて、もちろん杭打ちも駅弁も普通にやらされていたと言う。
精液の味などは初めてイタズラされたときに既に覚えさせられていた。
再現セックスは興奮します。
可能な限り細かく説明させながら、その通りに進めるのです。
姿見は私の部屋にあるのでそこで再現しました。
妻も私が興奮すると嬉しいようで協力を惜しみません。
「じゅんがよろこぶなら、何でも話すから……だから、たくさん愛してね?」
終わったあとベッドに入ると同じ事を繰り返し言ってくれます。
妻が言うには、先生のセックスには自分への愛がなかったと、
「同じことされても純のは愛され感がいっぱいだから……」と。
そのベンタイ教師が学校からも社会からも追われ妻の前から消えたあとは、男への嫌悪感だけが加速して行ったのだと言います。
性欲は消えなかったため、それは日々のオナニーで解消に努めていました。
Cの三年間は全く男への関心がなく、また男どもも妻の体の特殊性を嫌ってか誰一人として声をかける奴もいなかったのです。
Kに進学すると例の女に直ぐに目をつけられて家に誘われました。
何を求められているかはすぐにわかったと言います。
何年もオナニーで我慢してきた肉欲への期待が高まってしまい、全てを言いなりに許してしまったと言います。
それは、経験のない超絶な快楽の世界へと妻を誘い、レズの世界へのめり込んだのだと言います。
レイプのように、と言うのは流石に初めての時には抵抗をして見せたからでした。
先輩は抵抗をする妻を次第に黙らせ、喘がせることに興奮するタイプだとわかっていたからだと言うのです。
でも、その先輩には他にもパートナーがいることは直ぐに分かったようで、セックスにもやはり愛は感じられなかったと言うのです。
それでも性的な快楽は満たされていました。
体育館で汗を散らしながらジャンプする沙絵を見るまでは……
一目惚れだったと言います。
ばれないように回りから情報を集めると出会いのきっかけを毎日考えていました。
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