母が私の性的な要求から逃げるようになるとその捌け口は外の同年代か年下の少女に向けられて行きます。
父が残してくれた家に女の子を連れ込んでは怪しい行為を繰り返しました。
時には玄関前で違う少女とぶつかってしまうハプニングが起きるほど複数の女の子と淫らな行為をしていました。
年齢は様々で、美優と同じ位の子から一年だけ上の子もいました。
ただ、不思議とセックスだけはしなかった。
むしろそこで経験すれば今のようにはならなかったのかも知れません。
ただ母親がしてくれた事と同じ事を彼女たちに要求するだけだったんです。
テコキとフェラだけをさせて満足していました。
母と同じ様にみな台所のシンクに私の精液を汚いものとして吐き出す音が堪らなく興奮したのです。
「ペッ!、、、ペッ!」
あの音でした。
そして吐き出した私の体液を水で流す音……
ほとんどの子がその行為を知ってはいましたが経験は初めての子ばかりでしたので私の指示通りにみな台所で吐き出してくれました。
クンニは必ずして上げて、相手の子が盛り上がった時を見計らって口に入れていました。
抜かないように頭を押さえつけて射精すると台所に行って吐き出すように指示していました。
大概の子が紺パンを履いていたことから私の紺パンフェチが確立したのだと思います。
可愛らしい顔をしていてもパンツのクロッチの裏側はすごくクサイ女の子が殆どでした。黄色く縦に、割れ目の形に尿染みのある子や、広く大きくシミを作ってる子もいました。
一様にヨダレの乾いた時のような臭いをさせていて、顔の可愛らしさとオマンコは反比例するものだと思っていましたが、一人だけ本当に汚れなど全くないパンツを掃いていた子がいて、顔は頑張っても50点以下でしたが、未だに忘れられません。
汚れていないだけじゃなく、すごくいい香りを着けた下着を履いていたんです。
その香りがオマンコにも移り香となっていてクンニをするときに鼻腔から心に風が吹くような心地よさを感じたものです。
あまりの事に脱がしたパンツの臭いを嗅ぐと笑って恥ずかしそうに「やあだぁ……」と。
嫌がる彼女を説得してパンツを貰いました。
キュロットでしたので風が吹いてもノーパンがバレる心配が無いからと、すごくいい匂いだからどうしても欲しい、可愛い子が履いてたパンツが欲しいと言ってようやく応じてくれました。
でも、それが問題となったんです。
その子の母親が娘がパンツを履かずに家に帰ってきたことに敏感に気がついたのです。
問い詰められたその子が私との淫らな遊びを告げたため家に押し掛けてきて、対応したのが姉でした。
母親は仕事から帰っておらず、高校生になったばかりの姉制服のままがひたすらに謝ってくれたのを覚えています。
もらったパンツを持ってくるように姉に言われ、部屋から持ってくると相手の母親に差し出して、2度と近づけさせないからと言ったあと、目から火花が出たかと思うほどの平手打ちを四回も「この、、ばかっ!」
「ふざけんなっ!」「今度やったら殺すよっ!」叫ぶ度に打たれました。
相手の母親があまりの痛そうな音に妹を逆になだめてくれて終わりましたが、姉への恐怖心が生まれたのはこの時の痛みが原因だとおもいます。
母親が帰って来て顔を赤く腫らした私にどうしのかと問い詰められ困っていると姉が
「うん、女の子とケンカしたって言うから制裁くわえてやった」と、助け船を出してくれたのです。
それ以来、私は姉に頭が上がらないし、姉の「こいつ、ロリコンだから」とちーちゃんにチクったのはその事件があったからです。
※元投稿はこちら >>