みんな何かしらの傷を持って生きて行くものなのかも知れません。
超絶かわいい子はむしろ安全で、どちらかと言えば50点前後で体のいい子が狙われます。
私だけの趣味かも知れませんが過去を振り返るとそんな傾向にあります。、
女の子は本当に大変です。至るところに、そこいら中に怪しい目をした男どもが狙っているんですから。
わずかでもエッチなことに興味を示そうものならあっという間に獲物、餌食になってしまいます。
大昔は「神隠し」などと言われ諦められた少女の頻繁な行方不明は皆ロリコンの犠牲だったに違いないんです。
そんな事件は最近の話ではなく大昔から現在に至るまで何ら無くなることもなく続いているんです。
姉もそうでした。 ちーちゃんも、そして美優も……
遡ればきっと母も何かしらの性的な犠牲者だったに違いないんです。
跳び箱をしていました。
片手で何段まで飛べるかを競っていたんです。
私の小学校では体育器具を体育館に昼休みに色々と出して子供たちに運動を奨励していました。
何段目かは忘れましたが、失敗、
股間を跳び箱の角に激しくぶつけて出血までした私は保健室で応急手当てを受けたあと早退をさせられました。
母親に連れられて病院で薬をもらい家に帰ると母に塗り薬を塗ってもらいました。
チンポの脇から睾丸にかけて内出血で青黒くなった下腹部の傷を避けた部分に丁寧に塗ってもらいました。
ちんちんもです。
母の優しい指に擦られて始めて勃起をしたんです。
「あ、まぁ、やだ」
たしか、そんな言葉を母が呟いたと、思います。
ガーゼを貼られてパジャマのズボンを履きました。
部屋に入ると先程の母の指の感触と勃起を思い出して自分でちんちんをいじっていると後ろから母に声をかけられたんです。
「じゅん、…… あんた、なにしてんの……」と、
「痛くないの?」
「うん」
「いま、なにしてた?」
「……」
「ママに触られて、へんになっちゃったの?」
「うん」
「もう、大人になるんもんだねぇ」
パジャマのズボンを下ろされました。パンツは履いていなかったと思います。
「自分で触らないんだよ?ママが代わりにしたげるから、わかった?」
「うん」
摘ままれて捏ねるようにクニクニと揉まれると一気に跳ね上がるように膨れて反り返り、上を向きました。
母は無言で両手の平にチンポを挟むとまるで拝むかのように擦り会わせます。
棹から皮被りの亀頭まで全体を一気に擦られてしまいます。
母が私の様子を伺うと拝む早さを上げます。
手のひらが擦り合わさりシュルシュルと音がしたのを覚えています。
下っ腹からチンポの先端に向かって痺れるような重苦しい感覚が沸き起こり、何かが狭いところを押し広げてチンポの先端に向かって出てくるような、ほとんど痛みにも似た切ない甘い痺れを感じると、同時に大変な快感を伴って白い粘液がチンポの先から迸りました。
丁寧に拭いてくれながら母が私に繰り返し口止めをしました。
お姉ちゃんにも、お友だちにも絶対に言わないように、と。
感度もなんども…
言わなければまたしてくれると言ったのです。
その日の夜、姉が眠りにつくと母が私を起こして母の部屋に連れて行きました。
寝る前にもう一度治療をしてくれると言います。
ガーゼを剥がし、濡れたタオルで丁寧に優しく下腹部を拭かれていると自然にまたチンポが固く膨らんで上を向きます。鼓動に合わせてぴく、ぴく、跳ねるんです。
母が笑ってそれを摘まむと
「また、したいのね? いいよ? したげるね?」
そんな事を言って私に寝るように言うと今度は中指と薬指、親指の三本で握って上下にクニュクニュとしごきます。
程なく、数秒でまたあの快感が襲って来ました。
「あ、」
母の頭が被り見えなくなりました。
温かく濡れた感触をチンポ全体に感じると強く吸引されて亀頭が痺れました。
母が部屋を出ていき、キッチンのシンクに吐き出す音
「ペッ、、ぺッ」……
うがいをして、蛇口から水を流す音
帰ってくると濡れタオルで私のチンポを拭いて薬を塗るとガーゼを貼ってくれます。
「もういいでしょ? ねなさい」
パジャマのズボンを上げると私の尻を軽く叩いて言いました。
翌日は学校に母が私を休ませる報告をして。母も仕事を休んで二人っきりでした。
夕方まで、姉が学校から帰るまで何度もガーゼの交換をしてらいました。
何度も、、なんども…
でも、不思議と母は私の物を入れようとはしませんでした。
それは唯一の親としての理性だったのでしょうか。
未だに解らないんです。
それは母が二番目の男と付き合うまで続いたんです。
まだ純はたしか、四年生でした。
暑い夏の想い出…… セミの鳴き声がうるさかった。
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