視姦遊びをしているとき思うんです。
黙って何のアプローチもしないで町をボンヤリと歩いていても、何となくただ生活をしてると何も起こらないんです。
沢山の経験から場所を選定して沢山の失敗から獲物たちの心理を読み取って執拗に綿密な計略をもって仕掛けて初めて遊んで貰えるんです。
女児は特に親の教育と社会の保護によって警戒心が高く自分から足を開かせ股を見せるように仕向けるには大変な技を必要として、しかし彼女たちへの視姦ゲームにはこの「自分から股を開いて見せる」条件は必須です。
通りすがりの状態では決して手を触れてはならないので必ず一定の距離を置いてそれ以上は近づいてもなりません。
兎に角獲物の女児には絶対に恐怖心を抱かせてはならないんです。
「コワイ」そう思わせた瞬間に彼女たちは走り去ってしまうからです。
そう日々教育されているのです。
自分からエッチな行為をしていると感じさせることで罪悪感を持たせる必要があるんです。それによって近くに親がいてもチクれない状態に自分から陥る訳です。
そして最も大切なことは
「このへんたいオヤジは大人なのに気が弱くて恐くない……子供の私の方が優位だ」と思わせることです。
その全てを一瞬で連続的に伝えるテクニックが必要です。
よく「こんな偶然がそうそうあるわきゃないから、これは絶対に創作だ」と言う人がいます。
いや、殆どの人がそう言います。
だれもそこまで計画的な考察による行動から初めてゲームが成り立っている、偶発的な物なんかじゃないことを理解する人はいないんですよね。
千佐子の新しいポチャパートナーだって同じなんだと思います。千佐子の目にとまったのは決して偶然なんかじゃないんです。
千佐子のやりたい事を瞬時に見定めて、千佐子の目にとまる位置へ素早く移動して、千佐子が自分を見るタイミングに合わせて股に指を食い込ませてこすって見せたんだろうと思います。
それによって千佐子もまた彼女の思いを瞬間的に全てを理解してクチパクと目配せと微笑みだけであそこまで楽しめる相手を得られた訳です。
けっして偶然出会ったわけてはないんです。
偶然だったのはそこに二人が居合わせたということだけです。その後の全ては二人の長い経験によって得られた喜びの時間なんです。
この二人の出会いにはたくさん協力したいと思っています。
あくまでも私を起点として楽しむことが条件ですけどね。
千佐子は何があってもパパの女です。
パパだけの疑似ロリですから。
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