物凄い勢いで言い訳してくるのかと思いきや、あまりに自然に言われたので、聞き逃しそうになった。
「・・・や、やった? 」
言葉の意味が判りカッとなって、
「お、お前・・・、あの時、俺に謝って・・・、だから、おれはてっきり、もう、そんなことは・・・」と、言葉にならない言葉を発していた。
沢木が退院した日、この場所で沢木が私に謝ってきたことを言いたかったのだが、上手く言えなかった。
「? 」
キョトンとした顔で私を見つめていた沢木が口を開いた。
「謝ったのは、お前がせっかく家に泊まりにきてもいいって言ってくれた日に、お前んとこのおばさんを堕とせなくてごめんな、て意味だろうが」
「え? 」
「あの日お前は、俺とおばさんがやってもいいと思ったから、俺を泊めてくれたんだろ? 」
こいつ、なにいってんだ?
「・・・そんな訳ないだろ! 」
「そうなの? でも、あの時そんな話の流れだったぜ・・・」
「な、ば、バカかテメーは!! お、お前らが『うちに遊びにきたい』とか言ってきて、それを断ったら『マザコンだ』とかどうとか言ったから、仕方なく『いい』っつったんだ。泊まりに来いなんて一言もいってない。浮かれて酒を買い込んだり、お泊まりセットとか持ってきたりして、勝手に泊まる方向へ持っていったんだろうが! 」
「え、やっぱお前マザコンなのか? 」
グビリとビールを飲みながら沢木が言った。
「だから、何でそうなるんだ! 俺はマザコンじゃねーし、お前らを泊めたのだってうちの母ちゃんとやってもいいという許可を出した訳でもねえよ! どこの世界に自分の母親と同級生とのお膳立てをしてやる息子がいるんだよ!! 」
「ここにいたと思っていたよ。ははは」
「ふざけんじゃねー! 」
へらへらとしている沢木に殺意すら覚えた。
「がなるなよ。まあいいよ。お前が嫌なら止めるよ」
「? 」
沢木は真顔で言った。
「俺はさ、本当にお前がおばさんとの関係を了承してくれているものだと思っていたんだ。冗談じゃなく。だから、本気でおばさんにアタックした。そしたら有難いことに上手くいったよ。あ、当たり前だけど、脅した
わけでも騙した訳でも、ましてや無理やりした訳でもないからな。自然に普通に、そう、まるで運命づけられているかのように、なるべくしてなったんだと思う。・・・とと、本題がずれてきたな、いや、そういう関係なんだけど、友達がそれを嫌だと思っているなら話しは別だ。明日・・・というか、もう今日だけど、おばさんが来たら言うよ。『息子が嫌がっているから、もう会わないようにしよう』ってな。それでいいだろ? こう言っちゃ元も子もないが、お前だって悪いんだぜ。誤解させるようなことをしたんだからな」
「・・・俺が悪いって言うのか? 」
「お前だけとは言っていない。俺も悪いし、おばさんだって悪いよな。みんなだよ、みんな」
「お前は、その友達の母親と関係を持つことに、罪悪感はないのか? 」
「いや、あるよ。でも好きになってしまったら仕方ないだろう」
「夫や息子がある人を好きになっても関係を持つことは倫理的にどうなんだ」
「倫理的に? マズイと思うね。でも、だからと言って自分の気持ちを抑える理由にはならない。禁断とはいえ、恋する気持ちは純粋で尊いものだ」
沢木の論理が独特過ぎて、ため息が出た。
「・・・やっぱりお前はサイコパスだな 」
「なんだ、そりゃ」
私は滑川さんとの一部始終を話した。
「ははは。あいつらしいな。でもまさか、お前はあいつの言うことを信じているんじゃないだろうな。俺は人格障害じゃないぜ。そんなこと言っているあいつの人格こそ疑うね。分析好きなんだよな、昔から。分析をす
るってことは定義づけるということ。つまり、自分の杓子定規に合わせて他人を型にはめる、いうならばパターン化するってことだ。自信がないんだろうな、人と接するときに、その人のパターンを見いだせないと。十
人十色っていうだろ、パターンなんてものはないんだよ」
「お前はどうなんだよ。分析しないのか。しないでどうやって母さんの心を掴んで堕としたんだ」
「堕としたなんて、言葉が悪いな。誠心誠意、それに尽きるよ。さすれば心は通じあえるものだ」
何を言っても無駄に思えた。沢木と話しているうちに、自分の方がおかしなことを言っているようにすら錯覚してきた。頭の中がごちゃごちゃしてきて何も考えられなくなってきた。
「・・・お前が判んないよ。何? 友達の母親と関係を持つことはいいのに、それを友達が嫌がっているなら止めるってのか? 何なんだよ、その理屈は」
「当たり前だろ。俺にとって友の存在は重要だ。ましてや、お前は俺にとって親友だと思っている。お前は違うのか? 」
「し、親友って・・・。俺の母親に手を出しといて、よくそんなことが言えるな。ふざけてんのか」
「ふざけてる・・・? 」
突然、沢木が大きな声を出した。
「お前も俺のことを親友って思っていてくれてると思うからこそ、お前が了承してくれたんだと思ったんだよ! 」
「なにキレてんだよ! 」
「なんで判ってくれねんだよ! 」
「判んないよ。親友なんて言われたって、お前と滑川さんが付き合っていたのも、格闘技的なことをやっていたのも、母さんに渡した携帯も、全部知らなかったよ。こんなの親友関係っていえるのか」
「おい、どうしたんだよ。親友って情報量じゃないぜ。相手をどう思っているか、そして信じているかじゃないのか」
「俺はお前を信じていない・・・。なあ、今までの付き合いからしたって、親友なんておかしくないか。そんな間柄じゃないぜ。単なる学部の同級生程度だろうが」
「いいや、信じているよ。俺には判る」沢木は真っ直ぐな目で私を見つめた。
「あのなあ・・・」私が反論しようとしたのを、それより大きな声で被せてきた。
「とにかく!・・・、もう何時間かすると、おばさんが来るよ。その時に言う。もう終わりにしようって。そして・・・ごめん。勘違いとはいえ、本当にお前がゴーサインを出していたと思っていたからこそ、おばさん
と関係を持ってしまったんだ。それは本当に謝る。・・・誤解なんだよ」
激しかった口調がだんだん弱々しくなっていった沢木は、反省や後悔の念が見え隠れするほどうつむき加減で消沈していった。拳をぎゅっと握り、唇を噛み、天を仰いだその目には涙すら浮かべていた。
不思議なことに、このとき私は沢木の言うことに嘘はないのだと思った。思い返してみれば、確かに自分が発した言葉の真意が十分に伝わらなかったのが事の発端で、沢木は誤解したまま行動した結果、偶然にも母と関
係するに至っただけで、責任は自分にもある。
・・・私の勘違い?
何だか言いくるめられたようにも思えたが、沢木が素直に謝ったこと、そしてすぐに母との関係を絶つと宣言したことが、私を妙に納得させた。
「本当に、母さんに言うんだな。そして終わりにするんだよな」
「ああ、約束する」
私は急に疲れてしまって、力が抜けきってしまっていた。
沢木は、仲直りのつもりか握手を求めてきたが、私はそれに応じず、ただぼんやり沢木を見つめたまま突っ立っていた。
すると、彼はだらりとした私の両手を、実に凛々しい顔で握ってきた。
その手は逞しくて力強くて、何だかとっても堂々としていた。
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