「だって、考えてみなよ。携帯を持たなかった人が、夜な夜なメールをして、香水をつけない人が付けて、服装も気にしだし、時間きっちり人間がルーズになり、あげ句には、家族の輪を築いてきた食卓事情も変わったんでしょ。お惣菜とかが増えてさ」
滑川さんは一気に話すと、さっき頼んだ芋焼酎のボトルから、ドボドボと自分のコップに半分くらい注ぐと、一息に飲み干した。
「誰が聞いたって、クロでしょ」
ふう、と私から目を逸らして言った。物分かりの悪い奴に言うかのように。
「そんなことない。絶対ない! 違うんだって。うちの母さんは、違うんだよ」
滑川さんは、必死に母のことを話す私を黙って見ていた。嘲るでもなく非難するでもなく。
「まじめで、家族思いで、そりゃ口は少し悪いし、何かっていうと手が出るけど、料理や掃除、洗濯なんて完璧にこなして、オヤジの帰りを待ち、俺の心配をしてくれて・・・。だから、そんな。母さんが他の・・・ましてや、息子の・・・。違うよ・・・。絶対に、違うよ・・・」
だんだんと声が小さくなっていった。どんどん自信が揺らいでいった。
「池田君てさ。ママさんのこと、よく知らないんだね。あなたはさっきから『お母さん』ていう一面のことしか言っていないじゃない。今言ったことって、お母さん業だよ、全部」
滑川さんの言葉に、私は、ハッとした。
彼女は続けた。
「ママさんだって、女性だよ、人間だよ。池田君があたしと公平君との話に勃起したように、同じことを、ママさんにしたら、女性として何らかの体や心の変化はあると思うよ。あそこが濡れるかもしれないし、興奮するかもしれないし、抱かれたいって思うかもしれないし。そんなのはさ、当り前じゃない!? そりゃ、母かもしれないし、妻かもしれないけど・・・、女だもん」
「知ってるよ、そんなこと。言われなくたってさ! 息子としてじゃなく、人として! 」
何も知らないことを責められているような気がして、大きな声を出してしまった。
彼女は冷静に聞いてきた。
「じゃあ、ママさんって虫歯が何本ある? 好きな下着の色は? 初体験の相手と場所は? 座右の銘は?コンプレックスは? トラウマは? お父さんと最後にセックスしたのはいつでそれはどうだったの? 」
滑川さんは決して責めている口調ではなかった。まるで家庭教師先の生徒に分かるまで懇切丁寧に教えるように穏やかに、しかしはっきりと凛とした態度で言ってくれた。
「・・・そんなこと、知るわけないよ。そんなこと知っているからってどうなるというんだよ」
「多分、公平君は知っているよ。
全部かどうかは別としても。彼ならそのくらい聞いているし、見ているし、感じている。他の状況から推測していることもあるだろうし。
人間として、女としての池田ママさんと接していると思うよ。それはママさんにも絶対伝わっている。だから、身も心も許す存在になっているはず」
言葉が出なかった。
母をよく知っているようにしている自分が、実は一番知らないのかもしれないと思ったと瞬間に、体中の力が抜けた。
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