それから三日目、四日目と、母は毎日沢木のところへ通った。
午後からだったのが午前中からになり、部屋着同然だった服装がブラウスにパンツスーツ的な外着になり、あまつさえ、うっすらと化粧さえするようになった母に一抹の不安を覚え、それとなく問い掛けてみたが、返ってきた答えは、
「外へでるのだから、この位の身だしなみは当たり前でしょ」
というものだった。
明日から週末になるという金曜日の夕食後に、母のパート仲間の大山さんから電話がきた。
大山さんはその名の通り大柄なおばさんで、母に負けず劣らずお喋りな明るい人だった。
子機を手に持ち、「あらあらあらあら、どうもどうも」と居間から出ていった母。
壁に貼ってある銀行からもらったカレンダーの明日の日付には大きく赤丸が書かれていて、『
さくら会 旅行』と記されていた。
さくら会とは、母と大山さんと他二名からなる会で、毎月幾らかの積立をし、旅行をしたり、
少しいいレストランなどで食事をしたりして、日々のストレス解消をするための会だった。
毎年恒例のさくら会の旅行が明日なのは、ずっと前から決まっていたことなのだ。
今年は沢木の件があるから母は不参加なのだろう、と勝手に考えていたのだが、電話を終えた
母が、
「明日の準備をしなきゃ」と子機を台に置きながら呟くように言った。
「旅行、いくの? 」
「当たり前じゃない。前から言ってたでしょ」
「あいつのとこに行かなくていいの? 」
母は私の顔を見つめ、
「あれ、言ってなかった?週末は彼女が来るからあたしは行かなくていいのよ」
と言った。
母が言うには、沢木は年上のOLとつきあっているらしく、彼女が平日仕事で会えないので週
末にタップリ会うのだという。
私は、その彼女のことについて、沢木から何も聞いていなかった。
「ふうん。そうなんだ」
そんな彼女がいれば、母に対する一連の行為など冗談に決まっている。平日に彼女に会えないから溜まっていたのか。母の言っていた、酔っぱらえば場末のスナックのババすら・・・という言葉を思い出した。
「あ、そうそう。美味しい温泉まんじゅうのお店があるんだって。買ってきてあげるからね。お父さんには、何かお酒のつまみとか買ってこようかね。楽しみしていなよ」
母はいつも私たち家族のことを考えていた。そのことが嬉しかった。
「うん。楽しみにしてるよ」
私は笑顔で答えた。
次の日の朝早く、母は出掛けていった。
そして、その次の日の夜遅くに帰ってきた。
いつもは旅行から帰ってくる日は、夕方早めに帰ってきていたのだが、
「ごめんなさい。なんだか話が盛り上がっちゃって」 と、お土産と駅前のスーパーの総菜を私らに渡すと、「疲れているから」と寝室へ行ってしまった。父と私は呆気にとられたが、確かに母は憔悴しきった顔をしていたので、何も言わなかった。
総菜をつまみに酒を飲んでいた父がぽつりと、
「途中で連絡してこないなんて、母さんどうしたんだろうな」
と呟いた。
私も、そうだね、と言い冷めたカニクリームコロッケを食べた。
「母さん、着替えもしないで寝たのかな。おい、ちょっと見てきてくれ」
二本目の銚子を傾けながら、父が言った。
私は両親の寝室へ行きドアを開けると、母はベッドで死んだように眠っていた。脱ぎ散らかした上着、ジーパン、靴下が床に散乱していた。
口元まで布団を掛けて寝ていた母を見て、ふと母が下着姿で寝ているのだろうか、と思ってしまった。母に対して性的な感情を思ってはいけない、なんて言いながらも思ってしまったら仕方がなかった。
父が来ないことを確認して、そっとドアを閉めると、私は母の傍に立ち起こさないようにそっと布団をめくっていった。
心臓がドキドキして、口が渇いてきた。
こんなことしていいのだろうか。
でも、布団をめくる手は止まらなかった。
母は太ももまで隠れる白いロングTシャツで寝ていた。
私は余計に興奮してしまい、そのTシャツの裾を捲ろうとした。
その時、うーん、と母が寝返りを打った。
私はビクッとして、手を離し一歩後ずさりをした。その時、ドアがガチャリと開き、
「どうした。おお、ちゃんと寝ているな」
と父が入ってきた。
私は更にビクッとなった。
父に、「どうしたんだ。そんなに驚いて」と言われ、訳の分からない受け答えをしながら自室へ戻っていった。
部屋に入っても、動悸は暫く止まらず、私は自分のしてしまった行為を後悔した。
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