次の日、私と母は昼過ぎに沢木のマンションへ向かった。
県外で少し大きな事業をしている父をもつ沢木は他の学生たちと資金面でかなりの差をつけていた。だが普段の沢木はそれを私たちに自慢する訳でもなく、ただただ女性関係に使っていたので、私たちも普通に付き合っていたのだと思う。
午前中に彼からメールが届いた。これから病院を出るので迎えは結構です、という内容だった。まだ一人で歩くことがつらいらしく、(一昨日から)昨日家に泊まっていたあいつら二人に病院まできてもらったのだそうだ。そのことを伝えると母が、
「昨日お昼過ぎにタクシーで迎えにいくって言っておいたのに。待ってるように伝えて」
といわれ返信したのだが、これからお世話になるのにそこまでご迷惑はかけられません、と返ってきた。
「なにを変な気を使っているんだろうね。あっはっは」
私も少し可笑しくなり思わず笑ってしまった。「怪我をしたり弱ってしまうと、人は余計に他人を気遣うものだ」と誰かが言っていたのを思い出した。
沢木のマンションは五階建てで、生意気にも入口正面にエレベーターが設置してあり、築年数が経っているのかオートロックではなかったがそれなりのものだった。階段は外付けなので使用するなら一端反対側の非常口から出る必要があった。
エレベーターへ向かい上階へのボタンを押すと、既に一階に到着していたのか扉はすぐに開いた。
乗り込んだ定員数が六人の箱の中は見た目以上に狭く、母との距離が近かった。
私より背の低い母の髪の匂いが鼻をくすぐった。化粧のそれではなくシャンプーなのか何なのか分からない心地よい香りに包まれた。母は上部のフロアー表示を黙ってみていた。
この日の母は、ボーダーのTシャツにグレーのパーカーを羽織りピッタリしたデニム姿、動きやすそうないつもの格好をしていた。母のスカート姿など長いこと見ていなかった。何年か前に祖父の葬儀での喪服姿が最後だった。
五階につき左奥が沢木の部屋だった。
呼び鈴を押しても返事がないからドアを開け勝手に入るのはいつものことだったのだが、今日は母がいたので軽く声をかけながら入った。それでも返事はないのだが、リビングには大きなソファーベッドにパジャマ姿の沢木とそれを取り巻く二人がいた。
何やら話をしていたのだろうが、私たちを見るとハッとして会話をやめた。
「ああ、いらっしゃい。すいません、僕のせいでとんでもないことになってしまって。暫くの間、ご迷惑かけます」
すぐに笑顔で沢木が答えた。
「いやー、今こいつらと昨日おばさんに酒を飲ませたり失礼なことを言っていたのをどう謝ろうか話していたんですよ。以外に早かったですね。話がまとまる前にお着きでした。はは」
もっとも的なことをいう沢木に、
「あら、あたしは逆に感謝してるわよ。あんな高いお酒をあんなに飲ませてもらって。それにこんなおばさんを綺麗だどうとか誉めていただいて。あんたら若いのにどうかしてたんじゃないの?」
と母がおどけて答えた。
「はい。どうかしてました」そう言いながら、沢木は頭を掻いて失敗を詫びるような素振りをした。
母が殴るように右手を大きく振り上げると、沢木は隣の奴の背後に隠れようとして、痛てて、と腰を押さえ、母は、調子にのるんじゃないよ、と笑った。
何だか凄く良いムードだった。昨日の今日でこんなにも関係が良好するものか、と感心を通り越し奇妙にすら感じた。
「あんたたち午後から授業があるんじゃないの。高い学費払っているんだからサボるんじゃないよ」
母に言われ、本当はサボろうとしていた私と二人の連れは大学へ行くことにした。
おばさんに払ってもらっている訳じゃないんだけどな、と言った奴の頭を母が何の躊躇もなくパーンと張りながら、生意気言ってんじゃないよ、と凄んでいた最中、沢木が私に
「悪いな、色々と。まとめて謝るわ」
と両手を合わせウインクした。
「高いぞ。貸しとくからな」と、こっちも謝らなければならないのだが、そう言っといた。謝ったり謝られたりなんて気恥ずかしくてまともな感じでやってられなかった。
「責任はとるよ」
沢木の言葉に軽い違和感を覚えたが、母の
「早く行け!」
という怒声が私の思考を止め、逃げるという行動に移してしまった。
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