約10年近く海外に行っていた兄が成人を機に帰国したのが私がもうじき五年生の夏になる時でした。
お土産を用意する暇がなくて、最後に行ったビーチのセレクトショップで買ったという水着をくれた。
ストラップのビキニだった。
なんか、こういうお土産ってところからして長年海外で暮らしてきた人のような気がした。
やっぱり母は嬉しそうでしばらく機嫌が良かったし、就職して家を出ていた姉も暇をみつけては帰ってくるようになった。
晩餐のあとに三人で軽く一杯飲んだりしてるのを見ると、ちょっと取り残されるような気がして、私は人見知りなくせに兄にかまってもらえるように振る舞った。
母などには気づかれないように。
でも全然そんな心配は取り越し苦労だった。
かいつまんでいえば、兄は海外生活のせいなのかはわからないけどロリコンでした。
現地で実際に体験を重ねるうちにそうなってしまったとは本人談。
これらが発覚したのが、兄が私の友達に手を出したから。
母に黙ってるかわりに問い詰めると、まだ最後まではいってないと言い訳はしてたけど、いわゆるロリコンなのは渋々認めた。
じゃあ、私とも最後の一線は越えなきゃいいでしょ?って、強引に既成事実を作ってしまった。
兄を取られる気持ちと先を越される焦りが入り雑じっての行動だったのかな。
兄はおとなしくてもじもじしてるような子を強引にするより、こういう風にグイグイ押してくる子に弱いみたいで、すっぽんぽんでお風呂場にかちこんだら、すぐに勃起しました。
初めて見る勃起は立つところから見られてよけいに興奮したのを昨日のように覚えてますね。
私からしてもただ手を使ってしてあげるだけじゃくて、こっちもしてもらえてたからすっかり病みつきになれました。
母の目を盗んでは飽きずに肌を合わせる毎日。
ただ部屋にこもってするワンパターンじゃなく、外でしたりとバリエーションがあったのも飽きなかった秘訣ですかね。
私が露出に目覚めたのはそれのせいなのは間違いない。
あと、かなりのMなのも見抜かれ、他の女の子とも関係は切らさなかった。
時には覗けるように見せつけたりしてイジワルされまくった。
悔し涙を浮かべながらもアソコをグショグショにする私を全身全霊で慰めてくれるのが大好きだった。
飴と鞭の使い方が絶妙なんです。
兄とは一年たっぷり体をほぐされ、六年生の夏休みに本当に一線を越えた。
私だけは生涯誰にも触らせたくないと言ってます。
兄の包茎チンポはみんなのモノなのに…w
今、初めて結ばれた時の、親戚の別荘を借りて泊まった日の映像を見ながら打ちました。
海の家が一軒辛うじてある寂れたビーチで
私は少し窮屈なお土産のビキニを着てはしゃいでいます。
当時は六年生にしては大きいような気がしてた胸も今見ると小振りですね。
でも背も大きいほうだったし中二くらいまでなら通りそうにも見えます。
もっとも兄はそんなに急いで成長しなくていいと思ってたんでしょうけど。
背中にサンオイル塗るときは紐を外し、お尻にも手を突っ込んで塗ったり、ガラガラだからスリルを味わいながら色んなエッチな事をしましたね。
兄は今夜私の中に入れると思うと勃起が収まらないって言ってました。
上半身は脱がない代わりに、兄もビキニを履いてました。
これは私のリクエストです。
ダボダボのTシャツを着て傍目にはわからないようにしてましたが、ものすごい出っ張りでした。
変態兄妹です。
二人ともリミッターは完全に外れてました。