私は、中学2年から高校卒業まで、ご近所の50代の熟年夫婦とセックスしていました。
小学生の頃から鉄道が好きだった私は、同じ趣味を持つ近所のおじさんの家によく遊びに行ってたのですが、中学に入るとおじさんの私を見る目が変わってきました。
そして中2のゴールデンウィーク、私はおじさん夫婦の寝室で裸にされ、仮性包茎を剥かれ、閉経した奥様で童貞を卒業しました。
中2のペニスは一度の射精くらいじゃビクともしません。
ここから熟年夫婦に思春期の性を変態的に弄ばれました。
奥様は、おじさんと私の二本のペニスを共演しました。
奥様のオマンコとアナルを同時に犯しました。
究極のプレイは、奥様のオマンコにおじさんと私のペニス二本挿しました。
私と叔父さんは仰向けで向いあい、足を絡ませてペニスを兜合わせしました。
奥様がゆっくり腰を下ろし、二本のペニスをオマンコに入れたのです。
これは、奥様が吠えまくりでした。
セックスに慣れたら、私はおじさんにアナルを犯されました。
「可愛いね・・・」
と言われながら、ローションまみれにされたアナルにおじさんのペニスが入ってきました。
最初は変な感じでしたが、永遠にウンチをしている感覚になって、気持ち良くなって声が出てしまいました。
逆に、意地さんのアナルを私が犯したこともあります。
多感な思春期に、変態プレイを仕込まれた私は、失神する程の気持ちよさを味わいました。
プレイは、奥様抜きでおじさんと私、おじさん抜きで奥様と私のパターンもありました。
私が奥様と正常位でセックスしている時、おじさんが私のアナルを後ろから犯したり、奥様とセックスしているおじさんおアナルを私が犯したり、奥様をサンドイッチで犯したり、様々なパターンで、3Pの方が多かったですね。
あと、ソファーにバスタオルを2枚敷いて、おじさんが座って、私はアナルにおじさんのペニスをズブリと沈ませながら座り、私のペニスに奥様が跨って、狂ったよう腰を振りました。
これって、奥様の腰振りの振動で私のペニスとアナルは強烈な快感に襲われます。
私は溜まらず射精しますが、まだ10代のペニスは元気だし、おじさんのペニスで前立腺を突かれてるしで抜かずの二発、三発と連射させられます。
やがておじさんが限界で、私のアナルに漏らして終わりです。
バスタオルは精液だらけになってしまいます。
でも、失神するほどの快感プレイは、後背位若しくは正常位で奥様とセックスする私のアナルをおじさんに犯されるスタイルでしたね。
おじさんが私の前立腺を犯し、奥様は10代のペニスの精液を絞り出させているおじさんの愛を感じて、
「あなた、あなた、もっと突いて~~」
と言うので、おじさんはガン突き、私は二発も三発もイキ狂いました。
この後、私のアナルに射精したおじさんは、三発も四発も射精した私のペニスを扱くのです。
これはもう拷問で、たまらず五発目の精液を漏らした敏感亀頭を責められて、私は白目を剥いて気を失ってしまうのです。
まだ10代の少年に射精後の亀頭責めはキツイですよね。
私は、熟年夫婦との3Pが異常な行為だと分かっていましたから、両親にバレないかいつも冷や冷やしていました。
でも、おじさんや奥様に誘われると、快楽に逆らえずに抜けられませんでした。
3Pが最も快楽が貪れましたが、奥様やおじさんとの2人きりのセックスも良かったです。
奥さんとの普通のセックスも気持ち良かったですが、おじさんにペニスを扱かれながらのアナルセックスは、もっと快感でした。
私が高校を卒業するとき、おじさんは還暦、奥様は57歳でした。
私は進学で上京するので、最後、お別れの3Pをして、奥様のオマンコと叔父さんおアナルに私の精液、私のアナルにおじさんの精液を選別代わりに残し、さよならしました。
私は、5年間の変態生活はキッパリ卒業して、大学以降は普通のセックスを楽しみました。
中2から性行為を鍛えられたので、女性を喜ばせるのは得意でした。
50代の熟女に仕込まれた腰使いは、女子大生だけじゃなく、バイト先のパートおばさんにも好評でした。
もちろん、結婚5年の妻も、まだ30歳だというのに足をピクピクさせながら、私とのセックスに酔い痴れています。
おじさんと奥様は、私が大学を卒業して帰郷した時には、息子さん夫婦の元に引っ越して、もういませんでした。
私が帰郷して10年になりますが、今でもおじさんたちが住んでいた家の前を通ると、懐かしく思い出します。
15年前、おじさんたちとのお別れに撮影したプリクラを見つけたので、思い出話を書き込んでみました。
こんな少年時代を過ごした男もいたことを、知ってほしいと思います。