中学受験で頑張って、中高一貫の女子校に入学した直後に、
電車の中で痴漢に会いました。
小4でオナニーを覚えてから、年の離れた姉が持っていたマンガ雑誌とかを見ながら、
受験勉強のストレスを一人で発散していたので、
男性経験はなかったものの、その痴漢にあったことで、興奮してしまいました。
同じ時間の同じ車両の同じドアにそれから毎日乗り込んで、毎日のように痴漢されていました。
普段はパンツの中に入ってくる手が、生理の時はスポーツブラをシャツの中で捲られて、乳首を触られたりもしていました。
GWに私は学校が休みだったのは嬉しかったのですが、痴漢をされない事に物足りなさを覚えていました。
行動を起こしたのは、私からでした。
中学入学が決まってから持たされた携帯の番号を書いた小さなメモを痴漢さんの上着のポケットに入れました。
その日の夜に非通知で電話が鳴り、相手が分かっていたので、電話に出てしまいました。
翌朝、その電話で言われた通り、私はパンツを履かないで電車に乗りました。
そこから生理の時もしくは生理が近い日以外は、パンツを履きませんでした。
パンツは学校か学校の近くの公園のトイレで履いていました。
電話は相変わらずの非通知でした。
オナニーの声を聞いてもらうこともありました。
夏休みが近づき、私が痴漢さんに会えないのが寂しい事を伝えてしまいました。
翌朝、痴漢さんにいつもの駅の一つ手前の駅で一緒に降りて、
改札を抜けて、路地裏まで連れていかれました。
そこで私は生徒手帳を痴漢さんに見せて、スカートの中に手を入れられながら、
名前と住所を言いました。
スカートを捲られて、裾を腰に丸め込まれて、ベストも捲りあげられると、ブラウスのボタンを外されて、
胸も丸見えにされました。
痴漢さんは目の前でかがんで、私の乳首を吸いながら、局部も触ってきました。
「処女のくせに、夏休みもこういうことをしたいの?」
頷いた私に、
「ちゃんと返事しないと分からないよ。」と低い声で言ってきました。
「されたいです。」と答えると、痴漢さんは私から少し離れて、
携帯電話を私に向けました。
「動画撮るからさ、『〇〇ソノミは夏休みも痴漢さんに会って、痴漢されたいです。』って言ってごらんよ。」と言われて、
私はその通りに携帯のカメラに向けて、胸も下も丸出しの姿で言ってしまいました。
その後、痴漢されながらキスをされて、舌が絡まる感じで、痴漢さんの唾液がたくさん私の口の中に入ってきましたが、
止めることが出来ずにいました。
そのうち、私の手が取られて、痴漢さんのいつ出されたのか、ズボンのチャックから出されたものを握らされました。
もちろん男性器に父親以外ので触れたのは初めてでしたし、握ったのは初めての事でした。
先走り汁が出て、ヌルヌルして、不思議な感覚でしたが、
痴漢さんにしゃがまされて、先走り汁を口で綺麗にするように言われて、言われた通りにしているうちに、
口に入れられてしまいました。
また携帯を向けられて、
「痴漢さんのおちんちんを夏休みにいっぱいしゃぶりたいです。」と言わされました。
その後、顔の目の前でしごかれて、顔に掛けられると、また口に入れてきて、口でさせられました。
痴漢さんは満足すると、「このことを誰かに言ったら、どうなるかな?」と言って、精液が乗った顔も写真に撮られました。
翌日から夏休み始まるまでは普通に痴漢される日々でした。
電話もたまに非通知で掛かってきて、オナニーの声を聞いてもらっていました。
夏休みに入り、2日後くらいの夜に知らない電話番号からの着信があって、大体予想はついていたので、
出てみたら、案の定痴漢さんでした。
この時には名前を知っていましたが、あえて痴漢さんでいきます。
翌日、私は部活に行く振りをして、家の近くまで車で来てくれた痴漢さんと会いました。
車に乗ると、すぐに痴漢さんの手が私のスカートの中に入ってきて、
パンツを履かずに来たことを褒めてくれました。
どこに行こうか迷った結果、痴漢さんの家に行く事になりました。
ベストとキャミとスポブラを脱いで、ブラウスとスカートと靴下の恰好になりました。
そこから撮影会みたいなものが始まり、その流れでビデオカメラで撮影され、
体を触られながらキスをしたり、自分でブラウスのボタンを外しながら、触ってもらったり、
スカートも捲りあげてお尻を見せたりもしました。
ベッドの上で四つん這いになって、お尻を出されて、お尻から局部まで舐められたり、
ビデオカメラに向けてオナニーしたりしました。
処女であることを考えてくれて、局部ではなく、お尻の穴に指を入れられたりもしました。
私も痴漢さんのを口でしました。
お昼ご飯を買いに行くときには、痴漢さんのTシャツを借りて、
ブラウスの上から着て、コンビニに買いに行きました。
お昼ご飯を食べた後は、今度はすべて脱がされて、同じようなことをしました。
「誕生日は?」と聞かれて、答えると、
結構先だったせいか、
「夏休みの最終日に会ってあげるから、処女もらってあげる。」と言われました。
それから基本的には部活帰りにタイミングが合えば、痴漢さんの家に短時間でもお邪魔する日のが夏休みの流れになりました。
痴漢さんが休みの日になると、タイミングが合えば、朝から会っていました。
多分、私はこの時には痴漢さんが好きだったんだと思います。
そして、処女を奪われることも嫌ではありませんでした。
実際に奪われたのは、最終日ではありませんでしたが、最終日には私はそれなりに感じられるようになっていました。
学校が再び始まると、また痴漢さんと一緒に通学する日々が始まりました。
痴漢さんの指が局部に入るようになったのもありますが、私の方からも痴漢さんを触るようになっていました。
時々、あの路地裏に行って、最後までしてしまう時もありました。
休みの日はタイミングが合えば、痴漢さんの家に私から行って、たくさんしました。
子供が出来ないのが不思議なくらい、ゴムを付けずにたくさんして、クリスマスを迎えるころには、
飲むのが当たり前になっていました。
そんなクリスマスのプレゼントがお財布とリモコンバイブでした。
親には友達とのプレゼント交換で…とお財布しか見せませんでした。
冬休みに彼が実家に帰り、戻ってきた日に久しぶりに会ったときに、
私はそれまでの分、たくさん触って欲しいと言うことを言って、ビデオカメラに収められました。
痴漢さんは自分の指にハッカ油を塗って、その指で触られた私はそれまで感じたことがなかった快感に目覚めてしまいました。
「イク」と声に出して言えたのも、この時でした。
痴漢さんは疲れていたのに、私は腰から下が変な感覚になるくらいまで気持ち良くしてもらえました。
また電車での行為が始まると、痴漢さんはたまにハッカ油を使ってきて、そういう時は私の方から路地裏に誘ってしまうようになりました。
そんな事をしながらも、私は学校内では地味な存在でした。
遊んでいる子たちとは一線を置いていました。
中学2年生くらいになると、チラホラと初体験を終えた話が耳に入るようになりましたが、
私は内心上からその子たちを見ていました。
特に痴漢さん以外に出会いを求めていなかったのもあります。
その事を痴漢さんに話すと、中学2年の時の誕生日にお尻の穴でもしてくれるようになりました。
私たちの「中に出す」はお尻に出されることを意味するようになりました。
両手を縛られたり、目隠しされたり、体に落書きされたりと言ったことも、
中学卒業までに済ませてしまいました。
その間に、痴漢さんは家の近くに引っ越してきました。
おかげで会う頻度も増えました。
高校に入ってからも、やることは変わりませんが、私の痴漢さんへの気持ちが大きくなっていました。
好きと言うよりも依存に近いものがありました。
痴漢さんはその気持ちが重くなっていたようで、電車の時間を変えたり、なかなか会ってくれなかったりと
それで私は余計に考えてしまったりと負の連鎖がありました。
「他の男を探したほうが良いよ。」と痴漢さんに何度か言われましたが、
自分の気持ちを押し付けることを選んでいました。
高校3年になる春休みに痴漢さんから「転勤になった」と言われて、
物理的に離れるし、大学受験もあるだろうからとお別れすることになりました。
実際に痴漢さんは家の近くから引っ越していきました。
むしゃくしゃした気持ちを払しょくするように、私は勉強をしました。
それなりの大学に無事に入学し、その後、同世代の彼氏も出来ました。
何度か出会いと別れを繰り返しても、痴漢さんが一番性癖も含めて体の相性がいいのが分かるだけでした。
それでも30前で結婚をしました。
もちろん過去の痴漢さんについては、誰にも話していません。
そういう約束ですから。
だけど、たまに一人でするときには痴漢さんにされていた事を考えながらしていました。
子供も無事に生まれて、小学生になったところで、派遣社員としてまた働くことにしましたが、
そこで痴漢さんに再会したのです。
少し老けてはいましたが、私はすぐに分かりました。
痴漢さんは私の苗字も変わっているし、雰囲気も当時と比べたら変わっているから、まだ気づいていないのかもしれません。
それに痴漢さんは職場では子煩悩で有名で、本当ならばエリートコースに乗る予定だったのに、
子供と離れたくないからと、それを断ったとも聞きました。
だけど、再会して、私の中でまた痴漢さんへの気持ちが沸々と湧いてきてしまっていて、
いつ暴発するか分かりません。
とりあえず気を静めるために、ここにあえて書いてみました。