大学生の頃にバブル景気でした。
私は陸上部の貧乏学生でエッチにも興味津々でした。たまたま付き合ったオジサマの雑誌からスワッピングなるプレイを知り個人で参加しました。
女子大生が1人で参加、ですが日焼けして真っ黒の貧乳でか尻筋肉の私、しかし倶楽部の方々はすぐに私の性欲の強さを見抜き月に一、二度パーティーに参加させてくれお小遣いをくれました。
今考えると凄い内容でしたがなかなかの高収入でした。25歳くらいまでしていて教免がとれ地方に行く事になり倶楽部から離れました。
体育教師となり30歳手前で自分の性欲が普通の恋愛では治らない事に気付き、また参加したくなりました。しかし2回目は教師として淫乱な自分を認めた挨拶と入会お願いから始まり肉便器として参加になりました。
これか教師としてのプライドと相まって月に一度乱れまくりました。倶楽部会長は私の事を理解していたようです。
日頃、真面目な顔して厳しいと評判の私は月に一度は肉便器してました。