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※夫婦の営み事情、SEX、性生活について報告してください

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2024/04/22 07:59:02 (K8bB4G3U)
あなたは旦那のあそこが大きいと得した感じで羨ましいと思いますか。
私は山奥の田舎の田舎、数軒しかない集落で生まれ育ちました。
結婚も17歳と若くもちろん処女で、親同士が決めた相手でした。
旦那は24歳、あとから聞くと童貞ではなかったと言っていました。
親同士が決めた相手、この地方の習慣で早く子供を産んで集落を活性したいという願いからでした。
でも誰でもいいということではなく、そこには集落の長者も参加して近親者の結婚は障害者になる要素があるカップルは除かれました。
いくら集落の人口が増えても法律に従わなければいけなく、障害者が増えれば集落の損失になるからです。
同じ集落に相手がいないとなると隣の集落と連絡を取り相手を決めるそうです。
私の旦那は雄一と言って中学を出ると街に出て、結婚を機に帰ってきた人でした。
男子は街へ出ることを許され、女子は許されることはない集落だったのです。
もちろん恋愛の時期もなければ婚前交渉もなく、結婚式で初めて顔を見る相手でした。
ですから私も旦那の顔を見たのは結婚式当日で、でも小さいときはお兄ちゃんと慕っていた人だったのです。
ほとんどの集落の女子が私のように幼馴染を旦那として迎え、でも当日まで結婚相手が誰だか分からなかったのです。
都会では17歳もなると男性の一人や二人経験しているようですが、何せ山奥の集落のことそんな出会いもなければ知識も乏しいほどでした。
初めて結婚する相手と認識をすると、式を挙げ即初夜が待っているんです。
でも、私の場合は少し違っていました。
旦那の雄一さんのあれが、オチンチンが大きすぎて無理に入れようとすると痛くて、初夜に逃げ出してしまったのです。
私も17歳になって処女で成人の男子のオチンチンを見たのは初めてで、母から旦那様に任せてあなたは言う通りしていたらいいからと言われていました。
今から思うと拷問に近い性行為で、旦那の母の所へ逃げ出してしまったのです。
義母は義父に言い、そんなことはないだろうと二人が息子の所へ行ってオチンチンを見ると二人ともビックリしていました。
義父も義母も小さいときの雄一さんのオチンチンは見たことがあっても成人してからの物はなかったそうです。
でもこのオチンチンで童貞ではないと聞くと、街で何人か付き合ったけど大きすぎて断られて結局風俗の女性、時に経産婦を抱いていたそうです。
経産婦でもきついのですが、一度子供を出産していないと膣が開かないようなんです。
旦那のおチンポのサイズは勃起状態で長さ25センチ、太さ直径5センチ、ほぼコーヒー缶ほどの太さがあったのです。
旦那のご両親はすぐに私の両親にも連絡をし、話し合いが始まったのでした。
話し合いの結果次のことが決まりました。
二人の結婚生活は続けても性行為は一時中断して新婦に子供を産んでもらい、産道と膣を大きくするため新郎の父親と新婦の父親とのセックスをすること。
ただし、新婦の父親との子供は障害者が出来てしまう可能性があるため避妊具をつけ、新郎の父親とは中出しをすること。
新郎の父親との間に出来た子供は夫婦とその父である義父夫婦も含め立派に育てること。
その間新郎は新婦の母と新郎の母が性行為の相手を務め、妊娠しないように避妊具や避妊薬を飲むこと。
陽は私が子供を産まないと旦那のチンポを入れることができないので、私に子供を産ませるため私の父と旦那の父が私を抱き子供を作るというもの。
ただ、私が近親の子供を産まないように私の父には避妊具をつけること。
だったら私の父は私とセックスをしなければいいということですが、旦那の父親の子供を産むのですから不公平と思い私の父も参加させるだけなんです。
その間、1年もしくはもっと、旦那はセックスが出来なくなりその補填として両家の母親がお世話をすると言うものなんです。
私の母も旦那の母も経産婦で、大きなチンポを持つ旦那とセックスをしてもなんとか入るだろうということなんです。
ただ二人ともまだ若く、妊娠の可能性もあるのでピルを飲んで避妊する言うにしているんです。
この案だったら私と私の両親、旦那と旦那のご両親、みんなが納得して喜ぶのではないかと実行に移したのでした。
お昼は雄一さんと結婚生活をし、夜になると私は両父親に交代で抱かれる毎晩、雄一さんも同じでした。
その甲斐あって1年と5か月で私は義父の子供を無事出産し、出産から1か月後には旦那さんの雄一さんのオチンチンが少しづつ私の中へ入ってきたのです。
今は完全に旦那のチンポが私の中へ入るようになり、子供も義父の子を入れて5人になり幸せな生活を続けています。
私の両親と旦那の両親も、あのことが切っ掛けで夫婦交換をし素晴らしい性生活をしています。
私の母と義母も今では閉経となり避妊をしないでSWを続けています。
今度、親同士で旅行に行く計画を立てているようで、集落を出るまでは夫婦でも街に入ると夫婦交換をして過ごすそうです。
旦那様の大きなチンポのおかげでみんながこんなに幸せになるのです。
まあ、この話を信じるか信じないかはあなた次第ですが、、
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2024/04/18 19:47:27 (KAMkRcVT)
中学の同級生だった嫁の江梨とは、結婚して15年、41歳同士。
中学の時は単なるクラスメイトで、たまに一緒に帰ったことがあったけど、恋愛感情はなかった。
首都圏にある大学出て、Uターン就職して2年目、先輩から引き継いだ仕事先で江梨と再会した。
懐かしさもあったが、江梨は色気のある美人になってて、思わず息を呑んだ。
同級生をダシに飲みに誘い、江梨が元彼と別れたばかりと知って口説いたら、俺君なら喜んでと言われて、再会したその日にベッドインした。

俺も大学時代に女子大生やOL、パート人妻と浮名を流してたが、江梨の床での所作はなかなかで、結構な経験ありと感じた。
身体も、ムッチリしたエロボディで、艶めかしさに溢れてた。
まるで、男に抱かれるために発育したような身体に夢中になった。
トロンとした目で見つめられて、ズボンの上から股間を撫でられ、
「これの虜になっちゃった。こんなに気持ちいいチンチン、初めて…」
と言われて、プルポーズしないわけにはいかない雰囲気になった。

26歳同士で結婚、毎晩どころか、帰宅してすぐに一緒に風呂に入って、夕飯前にセックス、二人で飯作って食って、ビール飲みながら片付けして、洗濯して掃除して、寝る前にもう一度セックス。
1日2回、休日は朝起きて一度セックスして二度寝、10時頃起きて掃除して選択して、朝昼兼用の飯食って片付けてセックス、1時間くらいスヤスヤして、買い物に出かけて帰ってきてセックス。
もちろん、寝る前にもセックスしてた。
28歳の時に娘が生まれて、禁欲生活に耐え切れず、子供は一人で打ち止めにした。
子供が産まれて、やっとセックスが1日一回になった。

結婚して15年、41歳同士の中年夫婦になったけど、中一の娘の目を盗むようにセックスしてる。
41歳の江梨は妖艶さが半端なくて、夫の俺から見ても、人妻らしいエロいフェロモンをまき散らしてて、一緒に買い物に行くと、男たちのエロい視線が江梨に突き刺さっているのが分かる。
あの目は41歳のおばちゃんを見る目じゃなく、服の中身を想像するような、AV女優を眺めるような目つきだ。
そういう俺も、一緒に暮らす嫁だと言うのに、そういう目で見てしまう。
とにかく、ヤリたくなる女なのが江梨だ。

41歳の江梨の身体は、程よく熟した淫乱な身体で、ドドメ色に捲れた股間は卑猥、抱けば甘い匂いに包まれて、ムッチリボディは最高の抱き心地だ。
愛しているから抱きたいと思うのもそうなんだけど、一匹のオスとして、江梨は抱きたくなるメスであることは確かだった。
「こんなに気持ちいいチンチン、初めて…」って言ったくらいだから、お色気美人の江梨は、それなりのチンポを知っていて、「両手では余るけど片手では足りない」本数をマンコに入れている。
そのうえで一番気持ちいいと言われたら、男冥利に尽きるというものだ。
それに、チンポを触るときの手つきが、もの凄くエロい。

昨夜、江梨の生理が始まってしまったが、チンポ好きの江梨は生理が始まるとチンポ弄りをして、快感にハアハアする俺を見て喜んでいる。
カリと亀頭を弄りまわして、ニコニコ笑顔でビクビクしながら射精する俺を見ている。
限界まで高まった射精感の中に射精すると、男はアホ面になる。
情けないけど、生理が終わるまで毎日そうやって抜かれている。
とにかく江梨のチンポ好きには恐れ入る。
でも、そんな江梨が、俺は大好きだし、ドドメ色のマンコも大好きだ。
今夜も、江梨のチンポ弄りで射精するとしよう。
2
2013/10/24 15:02:33 (RZSFo4ym)
妻が大型長距離大型トラックの運転席のドアを何度かノックしています。
しばらくして運転席の窓ガラスが下り、運転手が顔を出しました。
妻が運転手と何か話しています。
やがて妻はトラックの助手席の方のドアに廻り車内に消えて行きました。
ここは北陸自動車道の上り線の安宅のPAで、車の時計は20時を表示しています。
このPAは大変小さく、大型車が4、5台、普通車が20台程度しか駐車できません。
PAにはエンジンをかけたままの大型長距離トラックの青森ナンバーと熊本ナンバーの2台。
普通車が私たちの車を含めて2台しか止まっていません。
妻は熊本ナンバーのトラックを選んで乗り込んで行きました。
トイレから出てきた男性がインプレッサーに乗り込み本線に向かい走り去りました。
私はキャンピングカー仕様になっているハイエースの後ろのベッドで下半身を露わにし、妻が今長距離トラックの運転席の後ろでしていることを想像しながらペニスをゆっくり擦り始めました。
あっというまに射精感が襲ってきます。
私はペニスから手を離し、射精を堪えました。
ペニスが激しく上下しています。

妻は28歳で二人目の子を出産しました。
その娘も2年前、都内の大学へ入学の為、家を出て行き私たち夫婦は2人だけの生活を送ることになりました。
始めは娘が居なくなり寂しさもありましたが、二人だけの生活に慣れていくうちに新婚時代に戻ったかのような生活になっていきました。
娘が居たころのセックスでは妻は声を押し殺し「ウッ、ウッ」としか歓喜の声を上げることはありませんでしたが、娘が居なくなって半年くらい経った頃から、私の「誰もいないのだから遠慮しないで声を出しなさい」の一声から堰を切ったかのように声を上げ始めました。
娘が居たころ決して見ることがなかった、入浴後に全裸で家の中を歩いたり、トイレもドアを開けたまま用を足す妻の変化に私も驚くばかりでした。
娘が都内の大学にいったあと、私はセックスの度に妻に何処が気持ちいいのか言わせるように耳元で囁きかけてきました。
初めは恥ずかしがって中々云わなかった淫語を一度言った切っ掛けで、だんだん抵抗なくいうようになっていきました。
私は妻が私以外の男とセックスしているところを観たいと鬱屈した願望を新婚時代から持ち続けていました。
妻にそのことは決して云いだせませんでしたが、セックスの度、快感の声を抑えてあえぐ妻の耳元で「公衆便所女になるんだよ・・」と何度も繰り返してきました。
妻はそのたび「えっ、私が公衆便所女になるのぉ・・・・ぁぁあ、私がぁ・・」と激しく反応し気をやるようになり、私がその言葉を耳元で囁かないときは「もっといじめてぇ・・・」催促するようになっていました。

私が妻と知り合ったのは、ある映画の試写会で隣の席どうしになったことでした。
そのとき妻は23歳、私は25歳でした。
交際を始めて一年後、妻が24歳のとき結婚しました。
妻は26歳で長男を出産し、28歳で長女を出産しました。
そうして、妻は二人目の娘を出産したとき避妊手術も同時にしました。
妻は私と付き合い始めた時にはすでに女の喜びを充分堪能できる身体になっていました。
私との初めてのセックスでも何度も気をやり、私の背中に幾筋もの爪の引っ掻き傷を残してくれました。
私は妻が過去に何人の男たちとセックスしてきたのかすごく知りたいと思いましたが、妻はそのことははっきり話しません。
妻の話から想像するには4、5人の男たちとの経験があるようです。

娘が東京の大学へ行って二人だけの生活が始まった年の11月の連休に私たちは、新穂高温泉の伊●旅館に宿をとりました。
その小さい旅館は男女別の内風呂以外に混浴の露天風呂がありました。
私たちは宿についたあと、露天風呂に入りに行きました。
男性用脱衣室には宿の浴衣が入った脱衣籠がひとつありました。
私も浴衣を脱ぎ露天風呂にはいっていきました。
その露天風呂は男女別の脱衣所があり、楕円形の湯船の中央に小さな仕切りがありました。
私はその仕切りを過ぎ中央側に行こうとした瞬間、露天風呂の淵の大きな石の上で全裸になり、私の方に向かってM字で開脚している女性と眼が合いました。
その女性は脚を閉じることもなく私に向かい照れ笑い(だと思う)しました。
その女性の前の湯船の中にいた男性が私に気付き、「すみません!」と苦笑いをしながら私に挨拶をしました。
男性の手にはデジカメがあり、その女性を撮影しているところでした。
そのとき、体にバスタオル巻いた妻が入ってきました。
男性は妻に挨拶をし、もう少し撮影を続けてもよいかと伺いをたてました。
私と妻は、次々全裸で卑猥なポーズを替えながらの撮影風景をお湯に浸かりながらさりげなく観ていました。
撮影が終わり、男性が私たちの側にきて「見苦しいもの見せて申し訳ありません」と照れくさそうに云ってきました。
その方は佐々木さんといいモデルは奥さんとのことで、名古屋から度々この旅館にきているとのことでした。
驚かされたのは、今ほど撮影していた奥さんのヌード写真はインターネットのホームページの掲示板でスワッピング相手を探す為の投稿用で撮影していたとのことで、私たちはただただ驚くばかりでした。

佐々木さんの旦那さんは、私によろしければ妻との写真を撮っていただけませかと私にでデジカメを差し出していました。
私は妻の顔を振りかえり見ると、小さく頷きました。
私がご夫婦にカメラを向けると初めはご夫婦のツーショットから撮影が始まりました。
撮影していて感じたことは奥さんに羞恥心がまったくなく、ご主人が要求するポーズに何の抵抗も無く答えていく姿にこれまでのご夫婦の経験と愛情を感じました。

撮影がひととおり終わった後、佐々木さんと私達は何処から来たのかとかこちらの方はよく来るのかとか、これまでの新穂高温泉の情報交換に一時花を咲かせました。
ひと際話が盛り上がった後、佐々木ご夫妻が先に露天風呂から上がることを告げられました。
そうして、上がろうとする直前、夕食後どちらかの部屋で飲み直しませんかと提案してきました。
私は妻にうちの部屋で飲むかと聞くと妻はまた小さくうなづきました。

そのあと佐々木さんは私がデジカメを持っていることに気付き、私たちを撮りましょうかと聞いてきました。
私は一瞬たじろぐ妻に記念だから撮ってもらおうと云い、妻にバスタオルを取るように云いました。
妻は中々バスタオルをはずそうとしませんでしたので、私がバスタオルを取ってしまいました。
妻は腕と手のひらで股間と乳房を隠しましたが、佐々木さんの「ハイ、手をどけて」の声で諦めたのか私の左腕に手を組みポーズを決めました。
その後も佐々木さんは私たちにポーズを付けさせて何枚も写真を撮り、私にカメラを返しました。

夕食後、部屋で妻と持参したジントニックと焼酎を飲んでいると、ドアがノックされ佐々木夫婦がお邪魔していいですかといいながら数本のビールを持って部屋に入ってきました。
夫婦の性体験の話になり、佐々木夫婦はスワッピング愛好者とのことで、オレンジピープルという夫婦交際誌(今でもあるのか?)にスワッピング相手を募集していたとのことです。
月に数度、名古屋市内で行われるスワッピングパーティに参加している等々ご夫婦の体験談を沢山聞くことができました。
佐々木夫婦が持ってきたビールも飲みほし、焼酎を飲み始めたあたりから妖しい雰囲気になってきて、佐々木さんの旦那さんが奥さんに「ユキコ浴衣を脱ぎなさい」と名古屋弁で云いました。
奥さんはにこりと笑い、浴衣の帯を解き浴衣を脱ぎ棄てました。浴衣の下はノーブラでしたが、黒のシースルーの大変セクシーなパンティを穿いていました。
50歳は越えていると思われる奥さんは乳房も程よく張っていて大変綺麗な身体をしていました。
奥さんはパンティだけになり佐々木さんの横に再び座りました。
佐々木さん:「奥さんうちの妻のヌードはいかがですか?私はまだまだいけてると思っているんですけどね(笑)」
妻:「綺麗だと思います・・・・私なんか・・・・・」
佐々木さんが再び、自身の経験を話しだしました。
私が佐々木さんの話の中で興味を惹かれたのは、奥さんをスワッピング仲間の男性に貸出し、その男性が奥さんをポルノ映画館に連れて行き、そこのお客さんたちに奥さんのオマンコを触らせたり舐めさせたりして楽しんでいる。
また、高速道路のパーキングエリアやサービスエリアで長距離トラックの運転手に奥さんを提供しているとの話でした。
妻もそんな話をジントニックを飲みながら聞いてました。
私は妻がかなり酔っていることと性的な話題で興奮していることを感じ取っていました。
佐々木さんの奥さんもこれまでの経験がなせる技なのでしょうか、妻の性的興奮の変化を感じ取っていたいたようで、妻の側に行き妻を布団の上に導きました。
妻はなぜか従順に奥さんについて布団の上に横たわりました。
奥さんは横たわった妻の首筋に唇を這わせ始めました。
意外なことに妻はそんな奥さんの行為を拒否することもなく従順にその行為を受け入れていました。

奥さんは妻が来ている浴衣を脱がせ、着けている下着も取り去りました。
自らもシースルーのパンティを脱ぎ全裸になりました。
奥さんは妻の乳首に唇を這わせ、右手で妻の陰部をまさぐっています。
私は佐々木さんと黙ってその光景を見ていました。
やがて妻の股間から「クチャ、クチャ」という淫靡な音が聞こえ始め、かすかに妻の喘ぐ声も聞こえ始めました。
佐々木さんが私に、「写真を撮らないのですか?」言ってきました。
私は弾かれたようにカメラを撮り、二人を撮り始めました。
奥さんが盛んに妻の耳元で囁いています。
そうしてその度に妻は「いやぁ、やめないでぇ・・・」と喘ぐように言いました。
そういうことが何度か繰り返されたあと、妻は大きな声で「ぁぁああ、気持ちいいぃぃ・・・」とはっきり言いました。
そして、さらに妻の耳元で奥さんが呟やくと「ぁぁあ、オマンコが気持ちいいのぉ・・・」と大きな声で言いました。
その後、「オマンコォ、オマンコ、オマンコが気持ちいいぃ・・・」と連発で叫び始め、激しく腰を持ち上げ始めました。
奥さんが今度はおきな声で、「何が欲しいか言ってごらんなさい!」妻に言い、「言わないと止めるわよ」と言いました。
妻は「ああ、止めないで、止めたらいやぁ・・・もっとしてぇ、お願いだから」と言いながら「オチンチンが欲しいの」と言いだし、さらに奥さんの「オチンチンじゃないでしょう!大人のは何て云うの!云わないと本当に止めるわよ」の言葉に、妻は「チンポが欲しいの、チンポ、チンポ、チンポ入れてぇ・・・」と叫び始めました。
奥さんは、ニコリと私に向かい笑って、妻が溢れさせた淫らな液でベトベトになった右手を見せました。
そのときです。
全裸の佐々木さんが妻の股間に割って入りました。
私は今から起きる行為がわかっていながら、脳が麻痺したかのようにただその光景を見つめていました。
佐々木さんは亀頭を妻の膣口に押し当てると一気に妻を突き刺しました。
妻が声を上げました。
佐々木さんは腰のピストン運動を早めます。
奥さんがそれに合わすように妻の乳首に舌を這わせたり、妻のクリトリスを触っていました。
そうしながら、奥さんは妻にどこが気持ち良いのか言わせるのです。
何十分経ったでしょう、佐々木さんは妻の膣から一気にペニスを抜き取り、妻の腹の上に射精をしました。
結婚してから初めての他人とのセックスに、私は大変興奮していました。
奥さんが妻のお腹の上の精液を拭いています。
佐々木さんは、奥さんから受け取ったティッシュペーパーでペニスを吹きながら「ユキコと、どうですか?」と私に聞きました。
私は、今すぐ妻とセックスしたいと、佐々木さんに告げ、まだ呼吸が収まらない妻に挿入しました。
他人が見ている前での、セックスは初めてのことです。
私は、興奮しすぎたせいか、あっけなく妻の膣内に射精してしまいました。

次の日の朝、佐々木夫婦と一緒に混浴をし、お互いの電話番号を交換し宿を後にしました。
帰路の車の中で、昨夜のことが話題になりました。
妻はこんなに簡単に私以外の男とセックスができる自分に驚いたことと、愛情がなくても快感を得ることができることにも驚いたようでした。
私も妻が寝取られたことに嫉妬心を感じない自分に驚いていました。
私は、このことで長年妄想してきた、妻が誰とでもセックスする公衆便所女になるきっかけにならないかと考えていました。
3
2024/04/18 16:55:59 (iDVG/Zmx)
仕事の関係で3年ぶりに日本に帰国しました。
空港まで迎えに来てくれた妻とこの日は
二人で空港近くのホテルに泊まる事に
ホテルにチェックインした後、部屋に入ると
妻は私に抱き着き私とキスをしました
妻のキスは激しくて舌を入れてきて舌を絡め
私も妻を抱きしめて胸を揉むと柔らかく大きくて
チンポは直ぐに勃起して私は我慢出来なくなり
妻の来ていた服を脱がし裸にして私も裸に成りました
そして妻の胸を鷲掴みにしながら乳首を舐めたり吸ったり
妻の喘ぎ声が部屋中に響き私は興奮して妻のマンコを
舐め回すと妻は一層激しく喘ぎました
そして妻も私のチンポを咥えさせてと言って
フェラを始めると激しいフェラに私はイキそうになり
妻にダメだこのまま激しくされたら口の中に
出そうだと言うと妻は良いから一杯お口に出してと言い
私は我慢出来なくなり妻の口の中に射精しました
3年ぶりに出した精子はドクドクと出ていつまでも止まりません
妻は全てを口で受け止めてくれてチンポを離すと
私に一杯出たから飲んでしまったと言いました
この後も私は勃起したままで妻のマンコに入れて
腰を振り続け何度も妻をイカせて最後は中に射精しました
50歳に成る私は二度射精しても収まらず
妻にフェラで立たせてもらい挿入して腰を振ったり
妻に上に乗ってもらって腰を動かかしてもらったりと
何時間も妻とのセックスを楽しみました
レストランに食事に出かけた後部屋に戻って
妻とまたセックスを楽しみ、そして翌日目を覚ませるとまたセックスして
何度セックスしたか分からないぐらいセックスを楽しみました
4
2024/04/18 07:43:10 (cKm157MX)
妻51歳と久しぶりとなる約2年ぶりの営み。
久しぶりに妻のフェラチオを堪能して俺はフル勃起!堪らず挿入した俺だ、気持ちいい膣内の感触にすぐ射精してしまった。。。今夜はリベンジ!妻をイカせます。
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