僕の初体験は17歳の時。相手は友達のユウトのお母さんでした。頼み込んで頼み込んで、最後は泣き落としでヤらせてもらいました。
ユウトに告げると、『お前、マジか。』と呆れていました。
僕の母ちゃんは染みだらけのブス顔、頭も『高校生にもなって九九が出来なかった。』というほど悪い。学校でも、所謂特別学級に行っていたのだ。
僕を産んだ母ちゃんだったが、自分で育てらず、僕を育てたのは結局はお祖母ちゃんでした。
母ちゃんには『門口さん』という小学校からの親友がいる。同じ特別学級です。『母と一緒にいたい』と、近くに引っ越して来たというくらいに母と仲がいい。
母と負けず劣らずのゴリラ顔で、『まあ、よくもこんなブス二人が集まったものだ。』と思うほど。色黒で、その姿はまさにゴリラである。
僕の精通は、そのゴリラによって行われました。小学校5年生の時でした。理由は覚えていないが、バンツをおろした僕に、門口さんの手が延びて来ました。
苦しさから、僕は両手を床にたて、身体を伏せて、門口さんの動く手に耐えていました。
すぐに訳がわからなくなり、怖々と下から股間を見詰めると、チンポから床に向かって激しく液体が飛び出す光景が見えました。
『なんだ、あれ。』と他人事のように、それを見ていました。かといって、それから門口さんとは何もありません。
きっと、あの時だけあの人のイタズラ心に火がついただけだと思います。
うちの母ちゃんはバツ3、門口さんはバツ2。こんな頭の悪いブス顔の女に乗り、腰を振った男が最低5人はいると思うとゾッとします。
『女なら、なんでもいい。』とそのくらいのヤツでないと無理じゃないでしょうか。そう思っていました。
結局、『うちにお祖母ちゃんだけが正常か?』、それも違います。うちの母ちゃんは、祖母と祖母の兄との子供です。兄と妹の間に産まれました。
結局、僕の廻りには、正常な人間などいないのです。
初体験を済ませた頃から、僕はよく門口さんの家に行っていました。親友の子供で優しくもされ、忘れているかも知れませんが精通もさせてくれた仲です。
結局2ヶ月もしない間に、僕のチンポは酔った門口さんのオマンコに差し込まれていました。ゴリラだろうが、女ならなんでも出来るんです。
小学生の僕と同じでした。門口さんは両手を床にたて、身体を伏せ、ただオマンコにチンポが何度も差し込まれるのをジッと耐えていました。
身体は固まったように動くこともなく、声もあげず、ただのダッチワイフのようになっていました。それでも面白かった。決して、詰まらなくはない。
その通りに、僕の精子は門口さんのオマンコの中に大量に流し込まれたのですから。